4、野党市議からの異論
年が明けて22年1月中旬、陸自駐屯地建設現場に近い石垣市於茂登の公民館。地域で農業を営む嶺井善さんは、苦悩に満ちた表情で語った。
「砥板さんは、住民投票条例案に反対、自治基本条例から住民投票条項を消すのに協力し、海上自衛隊の誘致にも動いていた。そういう人を推せる? ぼくが砥板さんに投票するのはいいよ。でも『砥板と書いてくれ』と隣近所の人には言えない」
嶺井さんは、今の市政運営に反対する市民が中山市長への対抗馬擁立を目指して21年10月に設立した「『チェンジ市政』石垣市民の会」の共同代表の一人。駐屯地建設に反対する地元の人々からは、これまではまったく相容れなかった砥板氏の政治姿勢について疑問の声が上がっていた。
1月6日、「市民の会」は砥板氏本人と野党市議との意見交換会を開いた。砥板氏は12月議会での「決別宣言」を伝え、「独善的な市政を変え、市政を市民の手に取り戻す」「一議員と市長の立場は違う」と述べるが、会場からは不満が噴出。出席した野党市議に対しても候補者選定に議論が足りないとの批判が相次いだ。
この意見交換会には、砥板氏擁立に同意していない4人の野党市議が欠席した。その中から新たな動きが出てくる。
1月10日付の八重山毎日は、野党会派「ゆがふ」の花谷史郎、内原英聡両市議が砥板氏とは別に独自の候補者の擁立に動いていることを伝え、「野党分裂へ」と報じる。その3日後、花谷市議に話を聞いた。花谷氏は駐屯地建設現場に近い4地区(於茂登、開南、嵩田、川原)から推されていて、自らも地元で農業を営む。自衛隊配備には反対の立場だ。
「砥板さんは防衛に関する知識もあり、自衛隊問題では賛成派議員の中でも先陣を切ってきた人。野党が彼を擁立するのであれば、より慎重な議論が必要であるはず。だが、短時間で決まってしまった」
当初擁立するはずだった知念辰徳氏についても、「野党が一丸とならないと勝てないので、折れに折れて百歩譲った結果。これよりも下がったら私たちは崖から落ちてしまう」。
翌週には「ゆがふ」の内原市議が出馬の意向を固め、近日中に記者会見を開いて正式表明する考えを示す。内原氏の祖父は、「革新」市長を4期務めた内原英郎氏である。「賭けではあったが、勝算はあった。相手の保守側が分裂した形になり、こちらはどの政党もつかない『市民党』で支持を得やすい。なによりも、たとえ敗けるにしても貫くべきものは貫かなくては、との思いがあった」と語る。
それでも野党「一本化」への模索は続く。市長選告示1カ月前の1月20日、態度を保留していた野党の長浜信夫市議が、砥板氏と政策協定書を交わし、支持を表明する。協定書には、自衛隊配備について住民投票の実施、他の自衛隊施設建設は許さない、自衛隊による空港、港湾の使用は災害・人命救助以外は認めない、リゾート開発の抑制――などのほかに、防衛省と賃貸契約を結んだ市有地について任期中に契約更新をしないことが盛り込まれた。「駐屯地の周りは多くが市有地。これ以上の基地拡張は認めないため」と長浜市議は言う。砥板氏にとってはこれまでの政治姿勢から大きく舵を切った内容だ。
長浜氏は説明する。「本心は工事ストップ、島に軍事基地はいらない、という気持ちだが、中山市政3期の間に石垣市の『保守化』は進んだ。保守対革新の構図ではもう勝てない。市民に十分な説明もしないで市の事業を進めるような現市政を続けさせるわけにはいかない」
砥板氏については「議会では対立してきた人だが、市長に決別を宣言し、二度と市政与党には戻れなくなった。彼は生まれ変わった。市長になったら『革新』の支持がなければ市政運営はできない。政策協定を破って暴走することはないだろうと考えた」。
5、玉城デニー知事が「後見人」
翌21日、宮良操市議ら野党4市議が砥板氏と政策協定を締結。陸自配備予定地の賛否を問う住民投票の実施と結果の尊重はもとより、投票期間中の工事中止を国に申し入れる、市民合意のない配備強化・施設建設に反対する、米軍の駐屯地施設の共同使用、共同訓練に反対する――など10項目の協定は、野党側のこれまでの主張をほぼ取り入れたものだった。
同日、野党会派「ゆがふ」も砥板氏への合流を決断。内原市議は出馬を断念する。「ゆがふ」と砥板氏が交わした政策協定は、住民投票のほか、「住民合意のない自衛隊配備について、明確に反対します」と明記。石垣の自衛隊配備のみならず、名護市辺野古の米軍基地建設にも反対することを掲げていた。
23日の日曜日、花谷、内原両市議は砥板氏とともに沖縄島に飛び、那覇市内の玉城デニー知事の公舎を訪問。これには砥板氏の選対本部長を務める次呂久成崇(じろく・まさたか)県議が同行した。地元選出の次呂久氏は玉城県政の与党議員の一人で、知事と陣営をつなぐ役でもあった。知事の立会いのもとで協定の内容を確認し、その日のうちに石垣に戻って開いた協定締結の記者会見には、照屋義実副知事が同席。砥板氏と玉城県政との連携を強調した。
急展開の背景について、花谷市議はこう解説する。「保守」の中でも右派とみられていた砥板氏を保・革共闘の候補に立てるのであれば、自衛隊問題についてかなり明確に言及しなければ、「革新」支持者の理解は得られない。おそらく配備反対まで打ち出すことはないだろうと考えていた。だが、思いがけず方向転換し、野党側の主張に沿う形で政策協定に応じた。それが「ゆがふ」の方針も変えさせた第一の理由という。さらに、もうひとつ重要な点があった。
「これまで沖縄県は自衛隊配備についてはほとんどノータッチ。駐屯地建設を止めるための努力をしていない」。確かに辺野古埋め立てへの反対姿勢とは異なり、南西諸島の自衛隊配備に対する玉城県政の明確な態度は見えにくい。「しかし開発行為に対しては県の権限でできることがまだある」。そのために玉城知事を、砥板氏との協定締結の「後見人」にする。「その担保がとれたのは前進と思っている」。照屋副知事の同席もそういう意味があった。
内原市議は「出馬をやめても信義を曲げないために結んだのが政策協定であり、その最大の担保がデニーさんだった」。砥板氏が市長であれば、工事の騒音などすでに起きている市民生活への悪影響を最小限にするための対話ができるだろう、と考えたという。
1月28日、市民団体「『チェンジ市政』石垣市民の会」も砥板氏と政策協定を締結。住民投票の実施はもちろん、「市民の声を聴く市政の実現」「石垣島の豊かな自然・文化を守る市政の実現」が掲げられた。
「市民の会」共同代表の嶺井さんは「中山市長は、陸自配備で地域住民に説明する約束も破った。なんとしても市長をかえたい」。そのうえで砥板氏支持に至った自らの気持ちを語った。「砥板さんはこう言った。議員と違って市長は、市民の意見を聞いて地域全体のためによい方向へ物事を進めなければならない、と。その通りにしてくれるなら期待できると思った」
野党市議のなかで、前津究市議は最後まで砥板氏を支持しなかった。「彼はこれまでの自分の政治姿勢についての反省の弁が一言もない。しかも砥板氏と政策協定を結んだ保守系団体は、陸自駐屯地の建設を容認している。明らかに矛盾だ」と批判。選挙の行方については「石垣島はまだ『革新』という言葉が生きている。革新が右派の砥板氏を立てるのは、支持者を裏切ること。これでは勝てない。内原市議が出馬するべきだった。投票に行かない人がかなりいて、投票率は下がるだろう」。
市民、関係者がさまざまな思いを抱くなか、「保守・中山氏」対「保革・砥板氏」による一騎討ちの構図が確定する。石垣では異例の様相となる市長選の告示まで3週間を切っていた。=続く=
【本稿は「note」より転載しました】