沖縄の海兵隊のグアム移転で起きた本当の事

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移転計画の内容が変更

 米議会の予算凍結措置に直面して、民主党の野田佳彦内閣のもとで、2012年に新たな日米合意が結ばれる。その結果、辺野古移設の進展にかかわらず、在沖海兵隊の戦闘部隊、約4700人をグアムに、残りを米領ハワイ州やオーストラリア、フィリピンに分散するという内容に変わり、米兵が帯同する家族の数字は合意から消えた。グアムに来る海兵隊関係者は当初合意の約4分の1に減り、海兵隊基地は新たに土地を接収するのではなく、アンダーソン空軍基地の中につくられることになった。

 安全保障を専門とする齊藤孝祐氏の研究によれば、辺野古移設と在沖海兵隊のグアム移転が切り離された理由の一つは、中国の急速な軍事力増強や北朝鮮の指導者交代によってグアムの米軍基地強化が急がれたこと。もう一つは、米議会が辺野古移設はもはや不可能だと主張したことだという。

 菅義偉官房長官(当時)は2018年10月の記者会見で、民主党政権のもとで「移設問題が迷走して進展しなかった。その時に、米国の議会で、グアム移転事業にかかる資金支出が凍結された時期があった」としたうえで、第二次安倍晋三内閣が「目に見える形で(辺野古移設)工事を進めた結果、資金凍結は全面解除された」と説明している。菅氏の発言は事実ではない。在沖海兵隊のグアム移転をめぐるアメリカ国内の政治的動きは、ひとえにアメリカの事情によるものである。

 辺野古移設と海兵隊のグアム移転が切り離されたのにもかかわらず、海兵隊の移転が始まるのは2024年後半となる見通しだ。合意変更の背景にあるグアム現地と米議会による批判に、米軍が応えるのに時間がかかったせいだ。

 日米合意の変更と米軍の移設工事計画の見直しを受けて、米議会が予算凍結を解除したのは2014年末。海兵隊基地建設の環境影響評価の完了が2015年。絶滅危惧種に関する見解書発表は2017年。グアムに新たな海兵隊基地となるキャンプ・ブラズが完成し、開設式典が行われたのは2023年1月26日のことだ。

「海兵隊は抑止力だから沖縄」は方便

 実のところ、在日米軍再編合意で取り決められた在沖海兵隊のグアム移転人数は、「日本での政治的価値を最大化すべく意図的に最大限に見積もった」数字だった。米政府の公文書でそう説明されている。再編合意にもとづき日米両政府が2009年2月に結んだグアム移転協定について、駐日大使館が交渉上の論点を米軍関係者に報告した、2008年12月19日の公電の内容だ。「日米両国とも、それら(海兵隊員約8000人とその家族約9000人)が実数とは異なると分かっていた」という。

 歴代の日本政府は、米海兵隊は中国に対する抑止力であるため沖縄におく必要があると説明してきた。そのため、グアムに移転する海兵隊員約8000人との数字上の「バランスをとるため、日米合意では約1万人の海兵隊が沖縄にとどまる」という説明を、麻生太郎外相(当時)が国会で行っている。ところが、在日米軍再編について協議中だった「2004~06年の在沖米海兵隊の数は約1万3000人で、公式見解の約1万8000人に満たなかった」。

 私が発見した史料によれば、在沖海兵隊のグアム移転後は、沖縄に残る海兵隊ではなく「在沖米軍全体の兵力が1万人となる。公式の数よりも少ない」という。

 結局、2012年の再編合意見直しで、グアムに移転する海兵隊員の数は約5000人弱に減ったが、転出するのは司令部要員から戦闘要員に変わる。海兵隊は対中抑止力だから沖縄におかねばならない、という日本政府の説明の根拠はさらに薄弱なものとなった。

 2009年の衆議院選挙で、普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」とすると掲げた鳩山由紀夫首相(当時)は、「学べば学ぶほど抑止力の重要性が分かった」として2010年5月、県外移設を断念。その翌年、「辺野古しか残らなくなった時に理屈付けしなければならず、抑止力という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」と語っている。菅直人政権の枝野幸男官房長官(当時)はこの発言を否定したが、鳩山氏は実に率直に事実を語ったといえよう。

※本稿は、2019年03月27日にWeb雑誌『論座』に掲載された記事に、史料の紹介を加筆する形で一部修正したものです。

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