沖縄戦を知らない若者に歴史をどう引き継ぐか(下)

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沖縄戦がリアリテイーを持ち続けるために…

 人から人へと伝えられる個の沖縄戦が、リアリティーを持つためには、語り手の存在と受け手の体験や知識の両方が必要となる。そのため、沖縄県では義務教育における平和学習が重視されてきた。

 沖縄戦で「県民の4人に1人が亡くなった」ことを学んだ若者の目の前で、家族を全員失ったという体験者が、涙を流しながら語るとき、語りは若者の知識に血肉を与え、強い説得力を持つ。しかし、語り手がいなくなったとき、個の沖縄戦はリアリティを持ちづらくなるだろう。

 私たちは今後、語り以外の方法で、沖縄戦のリアリティーを担保しなければならなくなっていく。その方法としては、データを駆使して総体としての沖縄戦像を描き出すことや、他地域の戦場との比較から見た沖縄戦の考察などが考えられる。

 記念碑は、記憶や知識を持たない者にとって意味を持たない。戦跡へ足を運んだ若者も、ただちに戦場が想像できるわけではない。なにより、沖縄の場合、戦の勝者である米軍が、自分たちの破壊の跡地を巡礼している。日常的にそれを見ている沖縄の若者たちに、沖縄戦を伝えるには、沖縄の住民の目線を大事にしつつ、日米両軍の動きも事実としておさえる必要があるのではないか。

 戦後78年、沖縄戦を体験から歴史へと転化していけるかどうかが問われている。

※本稿は、2020年5月31日にWeb雑誌『論座』に掲載された記事を一部加筆修正したものです。

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