抑止力論の落とし穴とは
近年の日本の外交・安全保障のキーワードを挙げるとすれば抑止力だろう。本来、専門用語であるはずの抑止力が毎日のように政治家から語られ、ニュースで流れるのも考えてみれば妙な光景だが(相手との意思疎通の努力という政治本来の課題を語る政治家は稀である)、そこには外交の駆け引きの一環という面もあるのだろう。
前述の麻生氏の「戦う覚悟」発言も、岸田文雄首相が来月予定されているASEAN関連会合で日中首脳会談を行うことを視野に、日本として安全保障問題では妥協しないというサインを中国側に送るためだという解説もある(『毎日新聞』2023年8月10日)。
外交ゲームとしてみれば分からなくもないが、そこで注意が必要なのが世論への影響だ。
安倍晋三氏の「台湾有事は日本有事だ」や今回の麻生氏の「戦う覚悟」といった強い言葉が政治の中枢に位置する指導者から繰り返し発せられることで、国民の感覚がだんだんと麻痺してくることが一番怖い。
日々、有事の可能性が語られることで、戦争が起きるのは必然という視野狭窄に陥ることほど愚かしいことはない。だが、歴史を振り返ればそのような視野狭窄の状態=「戦争必然論」はしばしば発生してきた。高揚した世論が今度は政治を束縛する。有事は政治の努力によって避けられるもの、避けねばならないものだという当たり前の感覚を取り戻すためにも、緊張緩和のための目に見える努力は必要なのである。
多彩な議論が外交の厚みをもたらす
かつて「改革」が政治のキーワードだった時代に、日本各地で「改革派の旗手」を自認する知事が生まれ、マニフェストなど新たな政治の形を示して見せた。日本の外交・安全保障政策が抑止力重視に大きく傾斜する中、中央政界では論戦の活発化もみられず(財政や少子高齢化、震災リスクなどもある中、どこまで抑止力に力を注ぎ込むのかはきわめて重要な論点のはずである)、モノトーン化(単色化)が著しい。
「抑止力」ばかりが横行する時代に、沖縄=広島=長崎が連携して緊張緩和と地域の安定を語り、模索することには重要な意義があり、大きな可能性がある。「外交安保は国の専権事項」というフレーズがあるが、戦争の生々しい記憶も米軍基地など安全保障の現場も地方にあることを忘れるべきではない(もちろん政府の足元の東京を含めて)。
また、沖縄、広島、長崎には戦争と平和を考える上で国際的な訴求力がある。三者の連携は日本の外交・安全保障をめぐる議論に新鮮で力強い息吹をもたらすに違いない。また、多彩な議論が存在することは、結果として日本の外交の厚みを増すことにもつながるだろう。