戦後80年、冷戦後からポスト冷戦後へ(上)

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日本外交と冷戦後

日本にとって、冷戦後前半期における外交安全保障上の最重要課題は、湾岸戦争、イラク戦争と、中東において繰り返されるアメリカの軍事力行使にどの程度、どのような形で関与するかであった。それが冷戦後の後半になると、中国台頭や北朝鮮による核開発の進展を受けて、アメリカの関与を東アジアに引き留めることが最大の課題となった。

1997年のアジア通貨危機の前後にはASEAN+3(日中韓)の発足を主導するなど、日本がアジアの地域統合を牽引した局面もあったが、その後は中国への対抗と牽制が色濃くなり、第二次安倍晋三政権ではインド太平洋が新たな繋がりとして語られるようになった。アメリカをつなぎとめ、インドやオーストラリアも動員して中国とのバランスをとるという安倍外交の基本的な発想は、中国台頭に対する当座の対応としては一つの型を成すものであったと評価できよう。だが、中国も含めた上でどのような地域秩序を志向するのかという未来像は必ずしも見えてこない。

 膨張する中国の軍事力とバランスをとるため、抑止力の強化に注力する必要があるのは確かだろうが、その財源はどこにあるのか。岸田文雄政権が事実上の対米公約として打ち出した防衛費増額も、その安定的な財源探しは先送りされたままで、少子高齢化に伴って自衛隊の定員を満たすことすら難しいのが現実である。【(下)へ続く】

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