ことし1月中旬、台湾中部の農村地帯で80代の台湾人女性から話を聞いていたところ、その娘や孫が「うちのおばあちゃんは台湾の『おしん』です」と言っていた。1980年代に放送されたNHKの連続テレビ小説「おしん」は台湾でも放映されたことがあり、「OSHIN」という言葉は幼いころから苦労に苦労を重ねてきた人の代名詞として台湾でもそのまま使われる。
台湾語と沖縄の島言葉の類似
このおばあちゃんは、10歳になって間もなくすると、アジア太平洋戦争が終わり、日本統治も終わったという世代である。日本統治期には、台湾の子どもたちも日本語で教育を受けているはずだから、インタビューは日本語でのおしゃべりになると踏んでいた。
私がこのおばあちゃんのことを知ったのは昨年12月下旬のこと。台湾北部の基隆で台湾の大学院生と知り合い、そのおばあちゃんがご健在だと知って、インタビューのセッティングをお願いしたのである。大学院生は「日本語が話せるいとこがいるので、通訳をお願いしておきます」と承知してくれた。
え?おばあちゃんは日本語ができるわけじゃないの?
と思いはしたものの、通訳を断る必要もない。インタビューを始めてみると、通訳の意味がよくわかった。
このおばあちゃんは、「こんにちは」といった日本語の簡単な単語をしゃべる以外は、ほとんどすべて台湾語で話した。かつては日本語の歌を歌い、孫に日本語の五十音を教えることもあったというが、終戦から70年余りが経過し、今では簡単な話ができるだけとなった。それでインタビューのやりとりを日本語で通すことはできなくなったという。そばには、娘とその孫が付き添い、おばあちゃんの台湾語を娘が中国語に訳して孫に伝え、その孫が日本語で私に聞かせてくれるのである。台湾語のできない私は、習いたての雑な中国語に日本語を交えて質問し、娘と孫からおばあちゃんに伝えてもらう。