好奇心ゆさぶる沖縄の痕跡 ~「内なるボーダー」台湾と共通点

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読者の中には、この夏休みを利用して台湾を訪れるという人もいることだろう。「本土で沖縄を学び、考えるツールとなるプラットホーム・サイト」のOKIRONなので、台湾でも沖縄にこだわるべく、ちょっとひねりを効かせた旅の方法を紹介しよう。

台湾で沖縄を探す旅

 

台湾政府交通部観光局のまとめによると、2017年に台湾を訪れた外国人1073人のうち、日本は189万人で、大陸中国、香港・澳門に次いで第3位。日本からの台湾旅行はリピーターやコア層が厚みを増す。ありきたりなツアーはもう結構です、という台湾フリークにも、「台湾で沖縄を探す旅」なら響くのではないだろうか。まずは台湾北東部の港町から始めてみよう。

縦列駐車のように漁船が幾重にも並んでいて、船溜り水面はほんの少ししか見えない。この船たちは一体どうやって漁に出ていくのだろう? 台湾北東部の港町、南方澳に建つ岸壁沿いの寺廟、南天宮に上がると、小さな漁船たちがエンジン音を高く低くさせながら船体を揺らし、うまい具合に出入りする様子が見えた。航海安全の神、媽祖を祀った廟の前だけのことはある。

南方澳がある台湾の宜蘭県蘇澳鎮は、沖縄県与那国町とは111キロしか離れておらず、これは日本の西縁としては、最も近い外国に当たる。

日本統治期の台湾で発行されていた水産関係の雑誌は1920年、台湾へ鮮魚を供給する「功労者」として沖縄の漁民を取り上げ、蘇澳で暮らす沖縄漁民の姿を伝えており、沖縄との間ではかなり前から人の往来があったことが分かる。南方澳はその後、1923年に築かれた岸壁を原型として今に続くわけだが、八重山など沖縄の人たちが出稼ぎや進学のために植民地台湾へ渡る時に利用し、戦後は沖縄への引き揚げ港となった。その後は、いわゆる「密貿易」では台湾側の拠点港のひとつとなっている。1947年に台湾で発生した2・28事件では、南方澳から逃げ帰った沖縄の漁民が沖縄紙の取材に答えて「台中、嘉義、蘇澳南方辺りも暴れだしました」と述べており、台湾の一大事をよそに伝える情報の出入り口だったことになる。

沖縄と台湾を結び、日本と台湾をつなぐ栓の役割を果たしてきた港のひとつがこの南方澳である。

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