「イッピンケイタイ」
八重山ではどうか。
私は石垣島で暮らすようになってすぐに、耳慣れない日本語が流通していることに気付いた。たとえば「イッピンケイタイ」。漢字で「一品携帯」と書くのだと知らされてみると、食べ物を何か一種類ずつ持ち寄って参加する集まり、または、その集まりに参加する行為を表すのだと分かるが、初めて「イッピンケイタイ」と言われた時は何のことだか分からなかった。携帯電話が普及していれば、ものすごく上等な、すなわち「逸品」のケータイだと勘違いしてしまったかもしれないが、私が石垣島に来たころはポケベル全盛期である。そんな勘違いさえ起らない。
ところが、である。「イッピンケイタイ」という言葉に慣れてしまうと、しょっちゅう集まっては飲んだり食べたりしてわいわいやっている八重山の人たちの姿が思い出されるようになってきて、「料理は持ち寄りで集まりましょう」などという(あえて謙虚に言えば)どこか澄ました本土風の言い回しこそが味気なくて、見映えだけ取り繕った、全然アジクーターじゃない総菜が並んでいそうに思えるから我ながらおかしい。
台湾語と沖縄の島言葉はよく似ている。台湾で暮らしてみると、沖縄における島言葉のポジションが台湾における台湾語のそれとほとんど一緒じゃないかと痛感することはしょっちゅうである。
台湾での取材は言葉がハンディになる。いったいどんな言葉で話せばいいんだろうか。大して言葉ができるわけでもないのに、私は、悩みだけは一人前だ。しかし、現場を踏むにつれて、ニュアンスが少しずつ感じ取れるようになる。悩みが深い分、面白味も大きい。この感覚もまた、八重山で取材していたころとよく似ているのだ。