新たな移設計画
普天間合意から10年となる2006年4月。7日には、額賀福志郎防衛庁長官と島袋吉和名護市長が、キャンプ・シュワブ沿岸部に滑走路をV字形に二本建設する変更案で合意した。12日の地元紙は、麻生太郎外相がV字案について、「抑止力が維持されるという意味においては極めて結構」と国会で発言したことを報じた。変更を認めない稲嶺知事が、滑走路二本案を拒否する姿勢であることにも触れている。
2007年4月12日には、麻生外相が国会にて、海兵隊のオスプレイ配備の予定を認めたと報道された。島袋吉和名護市長は、「防衛省側からオスプレイ配備はないと聞いている」と否定した。
2008年、09年の4月12日の地元紙は、米軍再編を検証する連載記事を掲載している。2008年8月には、国が、辺野古沿岸の環境影響評価の手続きに入った。
民主党政権下で深まる混迷
2009年9月に誕生した民主党政権の鳩山由紀夫首相は、普天間飛行場の移設先について「最低でも県外」とする方針を打ち出した。これを追い風に、2010年1月の名護市長選では、辺野古移設に反対する稲嶺進が市長に当選する。
だが、2010年4月12日の地元紙は、鳩山内閣が徳之島(鹿児島県徳之島町)移転案などを模索していることを、「いずれも地元の合意を得るのは困難な状況で、対米交渉も進んでいない」と論評した。2006年の米軍再編協議の最終合意では、普天間の2014年移転完了期限がきられたが、民主党政権下で移設先のめどもたたない現状に、14年間の普天間移設の混迷を憂いている。翌月には、沖縄を訪問した鳩山首相が、「抑止力」を理由に県外移設を断念したと表明した。
それでも、鳩山内閣が一度は普天間飛行場の県外移設を約束したことは、沖縄県内の世論に大きく影響した。2010年11月の知事選で、仲井眞弘多知事は、普天間の県外移設を公約に掲げて再選をはたした。
普天間返還合意から15年となる2011年4月12日には、仲井眞弘多知事が4月8日、「(移設問題は)去年の日米合意から止まっている」「県外移設は当然やるべきこと」と発言したことが取り上げられた。
民主党政権は、自民党の沖縄政策に回帰していく。2012年2月、野田佳彦内閣は辺野古移設を前提に、米軍再編でパッケージとされていた普天間移設と在沖海兵隊グアム移転、嘉手納基地より南の基地返還を、切り離す方針で日米両政府が合意したと発表する。