同じ2月には、普天間飛行場のある宜野湾市で市長選挙が実施され、佐喜真淳が約900票差で当選して、27年ぶりの保守市政を誕生させた。候補者は全員、普天間の県外移設を主張していた。
2012年4月12日の報道では、海兵隊削減と南部の基地返還を早めることで、辺野古移設を進めたい日本政府と、県外移設を主張する沖縄県との対立が、同年中に予定されているオスプレイ配備で硬化する可能性が指摘された。そして10月、オスプレイ12機が普天間飛行場に配備され、2013年9月にもさらに12機、追加配備されることになる。
安倍内閣の歴史修正主義と「いい正月」
普天間飛行場へのオスプレイ配備を受け、2013年1月末、翁長雄志那覇市長はじめ、沖縄県内の全41市町村の首長や超党派の県議が、東京都心で抗議集会とデモ行進を行った。
2013年4月12日の地元紙は、オスプレイ配備で「負担軽減どころか、危険性を増大」させた普天間飛行場が、5日の日米合意で2022年以降の返還と決められたことに憤った。
また、前年末に発足した安倍晋三内閣が、4月28日を「主権回復の日」として記念式典を開催する件で、仲井眞知事が欠席を決めたのは当然であり、副知事の代理出席もやめるべきだと論じた。1952年4月28日、日本は、サンフランシスコ講和条約の発効で主権を回復した。だが、米軍の直接統治下におかれた沖縄は、1972年まで米軍支配が続いた。
2013年12月末、仲井眞知事は安倍首相と会談し、毎年3000億円台の振興予算や、普天間飛行場の5年以内の運用停止、オスプレイ24機の約半数の訓練を県外で行うこと、日米地位協定の補足協定締結などを条件に、辺野古沿岸部の埋め立てを承認した。仲井眞知事の公約違反は、2014年1月、稲嶺名護市長の再選の追い風となった。
2014年4月12日の地元紙は、米海兵隊司令官が、代替施設の完成まで普天間飛行場を使用すると明言したことを報じた。これに対して、仲井眞知事は、日米両政府の計画では普天間飛行場の返還に約10年以上かかるので、「5年以内の運用停止は絶対必要。現場も知恵を出せば解決可能」だと強調している。
また、この日の報道では、竹富町の教育委員会が、教科書同一採択地区の石垣市と与那国町が選んだ中学の公民教科書を使用しないため、竹富町を単独採択地区にすると決定したことが取り上げられた。首長が保守系の石垣市と与那国町は、安倍首相が推す育鵬社(扶桑社の100%子会社で、社長はフジから出向)の教科書を採択していた。同社の歴史・公民教科書は、太平洋戦争を自衛戦争とし、沖縄基地問題についてほぼ触れない内容となっている。
下村博文文科相は、竹富町に対する是正勧告を出し、違法確認訴訟も示唆して、育鵬社の教科書を採択するよう圧力をかけていたが、竹富町のこの判断によって訴訟を断念した。
【以後、その③に続く】