ネガとポジのおかしな関係
儀保さんが「僕」に語らせている言葉をそのまま借りれば「沖縄や韓国、中国の政治的、歴史的な話が絡むとネットは荒れやすい」ということになる。「僕」は「汚い言葉にまみれた動画は、目に痒みを覚える」とも言っており、ネット上に広がる言葉の荒れに同調してはいない。
本作は沖縄の米軍基地問題をテーマとする小説だと考えたとしても誤りではない。ただ、それだけでは十分ではないだろう。論争的なテーマをめぐる言説がネット空間で伸び縮みする様子を、基地問題をひとつの例として描いたと考えるべきではないだろうか。当て推量の言葉ばかりが光を浴び、肝腎のところは日の当たらない闇の奥に放っておかれたままという、ネガとポジのおかしな関係は基地問題以外のフィールドでも目に付き、耳に障る。
本書には、2014年選考の第40回新沖縄文学賞で儀保さんが佳作を獲得した「断絶の音楽」も採録されている。この作品をめぐっては、沖縄の米軍基地に関する描写について又吉栄喜氏が「重たい現実をこの軽い文体は同化しえているのか、多少気になった」と疑問符を付けて指摘している。沖縄の米軍基地問題をどう描くかという命題は、沖縄を舞台に作品世界を構成していく小説家にも課せられており、バーチャルとリアルをまたいで在沖米軍基地を影絵のように浮かび上がらせた本作は又吉氏の指摘に対する儀保さんの応答といえるだろう。
「貢献」や「配慮」が好まれる時代にあっては、自らの意志に忠実であり続けることは意外に難しい。事実を見極めることが時におろそかにされ、リアルな自己を保ち続けることさえあやうい。この点で、儀保さんのスタンスは明確だ。作中では「人間関係に捉われるなよ」「周りのことなんか気にするなよ」「周りの奴らに捉われるな」という、ほとんど同じ意味のフレーズを三度も織り込んでいる。どれも物語の重要な局面で使われ、「僕」自身や「宗人」に向けられたその言葉は、どちらかといえばのんびりとした儀保さんの筆致で、読む人をやわらかく、ふんわりと刺激してくる。
(本稿は2018年4月14日付「沖縄タイムス」17面掲載の書評を加筆修正したものです。画像は沖縄タイムス社提供)