問われる「辺野古」の存在意義

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「あいまい戦術」は通用しない

 

一つ目。選挙結果から分かるのは、県内移設反対が民意の大勢として定着しつつあるということだ。普天間飛行場の全面返還で日米両政府が合意したのは1996年。県内移設が条件であることへの反発が強まり、移設先の名護市が97年の市民投票で反対多数となって以来、普天間問題は知事選など各種選挙で争点となってきた。知事選では、自民党政権下で実施された98年、2002年、06年の3回は、政権の支援を受けた県内移設容認候補が移設反対候補に勝利した。

民主党政権下の10年は、当時の現職、仲井真弘多知事が県外移設を訴えて再選した。仲井真氏が辺野古埋め立てを承認した翌年の14年は、仲井真氏が政権の支援を受け県内移設推進を主張したのに対し、移設反対を訴えた翁長雄志氏が当選。翁長氏は、公約した埋め立て承認の撤回を表明した直後亡くなった。玉城氏は翁長氏の後継者として立候補し、安倍政権が全面支援した佐喜真淳前宜野湾市長を約39万票対約31万票、約8万票差で破った。その票差は、事実上の一騎打ちの構図でそれまでの常識だった「3万票差」を大きく上回った。さらに翁長氏の得票約36万票を上回り、98年の稲嶺恵一氏の約37万票も超え、1972年の本土復帰以降最多となった。

二つ目。「抑止力維持」と「基地負担の軽減」はどう両立するのか。
普天間返還で基地負担を軽減し、辺野古新基地で抑止力を維持すると言いたいのか。これまでの政府見解では、現在の普天間飛行場が持つ三つの機能のうち、二つは本土に移転し、辺野古はオスプレイの運用機能だけに限られるとしており、抑止力との関係性が分からない。「沖縄の海兵隊は存在自体が抑止力」というあいまいなイメージだけではもはや通用しない。知事選でも、佐喜真氏陣営が辺野古移設の是非に触れない「あいまい戦術」は失敗に終わった。佐喜真氏陣営関係者は「もうあいまい戦術は通用しない。いっそのこと、辺野古は推進するが今の計画はおかしい、軍民共用化を提案して政府と話し合うとでも言えばよかった」と反省した。さらに、現在政府が進める移設計画は、「普天間代替施設」と言いながら、大型船が接岸できる護岸、航空機に弾薬を積む作業場など、現在の普天間飛行場にはない機能が幾つも加わっている。新基地建設にほかならないではないか、との疑問に対し、国は正面から答えていない。

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