「普天間の危険性放置」の政治責任~SACWO設置に向けて

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沖縄県の玉城デニー知事が安倍晋三首相との面談で提案した「SACO with沖縄」(SACWO)。政権は設置に否定的だが、日米の専門家からはポスト安倍の「辺野古見直し」の布石となる可能性も見据え、実現を後押しする声が上がっている。

 

日本本土と沖縄をつなぐブリッジ 

 

SACO合意から23年が経過し、合意の進捗を確認するとともに、基地返還の検証を行うため、SACOに沖縄県を加えた『SACO With Okinawa』(SACWO)という新しい話し合いの場をぜひ設けてほしい」

31日、首相官邸。玉城デニー知事は安倍首相をまっすぐに見据え、基地返還のための新たな協議機関の設置を要請した。さらにこう加えた。

「その実現のためには総理と私で、本当にとことん腹を割って話し合う場面をより多くつくって、解決策を探っていくほかない」

辺野古新基地(沖縄県名護市)建設に伴う埋め立ての是非を問う沖縄県民投票は「反対」が7割超を占めた。その結果を伝える席で玉城知事が投じたのが、「対話による解決」に向けた具体的な提案だ。だが政権は「腹を割る」どころか、県民投票の結果を一顧だにせず、「辺野古」の工事を進めている。

玉城知事は227日の本誌単独インタビューでこんな思いを吐露している。

「本当の意味で私が沖縄県知事として県民投票の結果の重さに責任を持つのは、そこ(SACWO)で現実的に議論を進めることだと思っています」

玉城知事の政策意図をくみ取り、SACWO提案を評価する日米の専門家もいる。

「日本本土と沖縄をつなぐブリッジになる、この提案を無視すれば沖縄は漂流しかねません」

こう話すのは、琉球大学・早稲田大学名誉教授で沖縄県と日米の交渉経緯に詳しい江上能義氏だ。

「玉城知事が言うように23年が経過し、国内外の政治、軍事状況も大きく変化する中、SACO合意がどうなったのか、沖縄県民も国民もよくわからなくなっている。検証は重要です」

SACOは、日米両政府が19959月の米海兵隊員らによる少女暴行事件や、当時の大田昌秀・沖縄県知事の駐留軍用地特措法に基づく署名・押印の拒否を受け、同年、沖縄の米軍基地の負担軽減を目的に設置された。9612月の最終報告で、普天間飛行場を含む11施設、5002ヘクタールの返還などを盛り込んだ。同報告は普天間飛行場の代替施設について「沖縄本島東海岸沖」に建設することも明記した。

江上氏はSACOの問題点についてこう指摘する。

「たとえば、北部訓練場(沖縄県東村など)の返還もヘリパッド移設の条件が付けられ、東村高江区に集約されました。沖縄の基地縮小をうたいながら、実際は米軍の効率的運用が優先された面もあります。これは沖縄側が求めた当初の意図とは異なります。こうしたことも検証すべきでしょう」

20162月に実現した北部訓練場の一部約4千ヘクタールの返還は、ヘリパッド建設に対する反発の高まりなどを受け、02年度末の目標から大きくずれ込んだ。普天間飛行場の返還は今なお見通しが立っていない。江上氏は言う。

「県内での移設や統合が中心のSACOの進め方でいいのか、客観的に検証する場は絶対必要です。日、米、沖縄の三者が意見を出し合い、基地の整理縮小を前進させる必要があります。でなければ、沖縄の人たちの怒りは今後も収まらないでしょう」

SACWO設置に取り組むことで、政権は沖縄に対して「最低限の誠意」を示すべきだ、と江上氏は訴える。

「玉城知事は今回、『辺野古即断念』を政府に突き付けるのではなく、穏当な『協議機関の設置』を求めました。この要請すら拒むのは、沖縄の声に一切耳を傾けない、というのと同じです。首相と知事の面談も形式だけ。何も聞かないというのであれば、これはもう政治じゃない」

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