権利拡大の引き金は米公開文書
グリーンランドに現在残るのはチューレ米空軍基地のみ。デンマークではそもそも、米軍基地の設置が可能な区域は、グリーンランドに限定されている。
「米軍基地をデンマーク本国に展開させるオプションがないため、安全保障政策上、デンマークはグリーンランドに依存している状態です。デンマークが米国との関係を良好に維持していくには、グリーンランドの意向を尊重せざるを得ない立場にあるのです」(高橋助教)
デンマークがNATO(北大西洋条約機構)に発足時から加盟できたのもグリーンランドに米軍基地があったから(米国にグリーンランドを差し出したから、という意味で「グリーンランド・カード」と呼ばれている)との側面が強いという。
高橋助教によると、グリーンランドが米軍基地政策へのコミットを求める引き金になったのは、95年公開の米国の機密文書だ。
冷戦期の68年にチューレ空軍基地の西11キロの海氷上に墜落した米軍爆撃機B-52が、4個の水素爆弾を搭載していたことが公文書で裏付けられた。さらにその後、英国BBCが入手した一次史料や、情報公開法によって既に明らかにされていた史料に基づく報道によって、4個のうち1個の水素爆弾が未回収である可能性も明らかになった。プルトニウム汚染のリスクが深刻化している可能性が浮上したのだ。
グリーンランドを含むデンマーク国家への核持ち込み・配備は当時から禁止されていたが、実際にはデンマーク政府が黙認する状況が常態化していたことも、95年の公開文書で判明した。
沖縄で米兵による少女暴行事件が起きたのも95年だ。この事件を契機に県民の反基地感情が高まり、米軍基地の維持に危機感を抱いた日米政府が、普天間返還合意に動いた。
米軍基地の存在が生活にかかわるリスクに直結することが再認識された点は、沖縄、グリーランドともに共通している。しかし、在日米軍専用施設の7割を超える沖縄は「基地の負担軽減」を求めたのに対し、グリーンランドが求めたのは基地の撤去や整理縮小ではなく、グリーンランドが主体的に基地の発展的運用にコミットするのと同時に、米国が責任をもって基地運用に伴う除染などの環境保全を図ることだった。