「少女暴行事件があって、大田さんが少女の尊厳を守ることができなくて知事として申し訳ないという話をされたものが、私の胸にずっと残っていて」
翁長知事はわずかに間を置いてから続けた。「去年、20歳の娘さんがあのような悲惨な殺され方をした、そういう場合も守ってあげられなくてごめんなさいという言葉が、連綿として大田さんの時代から何ら変わることなく続いているんです」
うるま市で起きた暴行殺人事件。事件から1年がたった今年4月、遺体遺棄現場を訪れて献花した思いを、翁長知事は記者たちにこう述べている。
「守れなくてごめんなさいねと。政治やそういうこと(事件)を解決する立場の者としては全力をあげ、二度と起こらないように頑張っていく決意をこめました」
まず口をついて出たのが「守れなくてごめんなさい」という、大田氏と同じ思いだったのだ。22年という時を経て発せられたふたりの知事の言葉は、まさに“県民のお父さん”としての心情のように私には思えた。
今から考えると、激しく対立していたときも、県民の幅広い支持を集めていた大田知事に対して別の感情を抱いていたと、翁長氏は言う。
「私の心のなかでは、大田知事の答弁に学ばせてもらうものがありました。私自身が保守の出でありますけれど、沖縄の基地問題を解決するためには県民の心をひとつにしないといけないなと。そういう思いを私も持っていましたから」
少女暴行事件をきっかけに沖縄県民をまとめ、日米両政府を動かした大田知事。翁長氏はそこにオール沖縄の原点を見ていたのかもしれない。
通夜の席で大田氏に何を語りかけたのか
私は一番、聞いてみたかったことを尋ねた。
通夜に駆けつけた翁長知事が、横たわる大田氏の額に手をあてて語りかけていたという一文を、地元紙で目にしていた。どんな言葉を発したのか、どうしても聞いてみたかったのだ。
「額に手をあてて心のなかで言わせてもらったのは」と翁長知事は切り出した。「大田さんの思いを私もしっかり持っていますと。ウチナーンチュのそういった気持ちをいかにして政治の場で実現できるか頑張っていきたいと思います」
そう言ってから、大田氏にこう語りかけたという。
「見守っていてください」
かつては逆の立場に身を置きながら、最後は大田氏と同じように政府と対峙することになった翁長知事。ふたりの知事が織りなす時間は、基地が集中する状況に置かれ続けている沖縄の姿を、雄弁に物語っている。