地続きの社会へのまなざし~境界を破る表現の力

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政治を動かす真の力

 

目に見えない境界を破る力が、「本土」・沖縄双方の表現者に求められている。

日々の暮らしの中で「政治」や「権力」と向き合う沖縄の人々を描く那覇市出身の作家、仲村渠ハツの小説作品群『辺野古バスに乗って』は、行間から血がにじんできそうな切迫感が伝わる。

「まゆか」という作品で、仲村渠は「辺野古」の座り込みの現場をこう表現する。

「ここは一番醜い場所だ。大きな力が小さな力をねじ伏せる場所だ。正義が殺される場所だ。人間の誇りをかけて無力で戦う場所だ。見たくないと目を背ける人もいる。愚かなことだと口に出すのも厭う人達もいる。しかし、やがて近づいて来る戦争の足音が一番よく聞こえる場所だ。ここにいると日本の国が、戦争への道へ傾いていくその歪み具合がよく見える。大切なはずの国民の声を権力の蓋で押し殺していくのが見える」

登場人物のパーソナルな視点から人間の身勝手さや利己主義を赤裸々に描きつつ、物語の展開を躊躇なく政治や社会問題と接続させるのが仲村渠作品の特徴だ。作品の熱量の高さゆえに、特に沖縄においては実生活が政治と深く結びついていることを、あらためて認識させられる。

「辺野古のへは平和のへ」という作品では、辺野古で座り込みをしたいと訪ねてきた「東京の女教師」に、沖縄の母がこう諭す。

「辺野古反対はね、一生のテーマなんですよ。一度人前で辺野古反対って言ったらね、一生言い続けなければならないんです。中途半端な気持ちで言ってはいけないんです。一生辺野古反対ってやっていける人しか言ってはいけないんです」

地元で「辺野古」を語ることの抜き差しならない重苦しさ。地元の人と濃密に接して初めて聞かれるような日常会話の節節の本音が、ポンとむきだしのまま投げ出される。

「沖縄の人でなくてよかった」というタイトルの小説で、仲村渠は沖縄の人を縛る「呪い」の数々を挙げる。中でも「日本人」への呪いが突き刺さる。

「先の大戦で日本兵に殺された沖縄住民の事をいつまでたっても忘れない。日本の人は必ず沖縄を裏切ると信じている」

筆者は沖縄で暮らしていたとき、「ヤマト」に対する沖縄の人たちの根深いわだかまりに触れるたび、「本土出身者」であることを自覚させられた。どれだけ長く沖縄で暮らしても、都合よく「沖縄の人になる」なんてことはできない、と思った。しかし、物語の中では出自や境遇に縛られずに境界を越えられる。ウチナーンチュの心の枷を、沖縄の人になったつもりで考えることをゆるされる。それは貴重な体験だと感じた。

『基地社会・沖縄と「島ぐるみ」の運動』で秋山道宏は、1968年にB52戦略爆撃機の爆発事故が起きた当時、地元の嘉手納村長だった古謝得善の「想い」に身を寄せる。繰り返し引用されるのが、以下の古謝の言葉だ。

「私はたしかに政党人で、しかも保守系だが、なにもロボットではない。村民に背は向けられないよ。B52をどけるために効果があれば、村民大会もやるし、ほかの集会にでも参加する」

「保守系」を自認し、公言しながらもB52撤去へと動く古謝の姿は、現在に連なる沖縄の戦後政治の脈を浮かび上がらせる。

政治を動かす真の力は、「生活や生命を守る」という人々のやむにやまれない根源的要求に基づく。生活者の身体感覚から発せられた民意が尊重されなければ、あとに何が残るのだろう。

【本稿は4月27日付毎日新聞『沖縄論壇時評』を加筆転載しました】

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