「日本をとりもどす」
瀬長は1967年10~11月、復帰前の沖縄からパスポートを手に本土を訪れ、北海道から奄美大島までを講演で巡った。旅の途中の日記に、沖縄の復帰によって「美しい祖国日本をとりもどす」と書いた。
何だか、今の安倍晋三首相の言い回しと似ている。今年2月10日の自民党大会での総裁挨拶では、「美しい日本」への思いをこんな風に語っていた。
「私は外遊からの帰り、日本が近づいて参りますと政府専用機の窓から日本の姿を眺めます。ゆたかな海に囲まれ、緑に包まれた美しい日本。これが私たちの国だ。ほっとすると同時に静かな誇りを感じます。美しいふるさと……」
米軍普天間飛行場の沖縄県内移設をめぐる県民投票で反対が多数を占めたのは、それから2週間後だ。政府は構わず辺野古の海を埋め立てる移設工事を進めている。
天皇を中心とする「国体」が敗戦で後景に退き、「国民」が主権者となって72年。その代表として近代国家・日本の統治を担う首相が政府専用機から眺める国土は、ひとまとまりの「国民」を前提とするはずだ。
安倍首相の「美しい日本」に沖縄は入っているのだろうか。日本政府が踏み切った戦争で土地を奪われ、あちこちに米軍基地ができた沖縄で、日本政府が初めて米軍基地を造ろうとしている。
平成から令和へとかわっても、沖縄が復帰したかった祖国は彼方にある。沖縄の「国民」の意思よりも「国体」としての日米安保体制が重んじられる戦後日本の現実を、普天間飛行場の移設問題は残酷に示す。
瀬長が94歳で世を去って18年。もし存命なら、この現実にどう挑むだろう。
笑顔で「いちゃりばちょーでー」
内村さんは父を思う。
「本土と一緒に、沖縄から本土を変える。復帰運動と同じでしょうね。いま自分ががっかりしたらどうなる、ふんどしを締め直さないといけない、とよく言ってましたから」
前々回【上】に登場した元県議の仲松庸全さん(91)。沖縄戦を体験し、戦後に瀬長の演説に鼓舞され、ともに沖縄人民党で復帰運動に尽くした。糸満市の自宅を訪ねると、「政府のおかしさは本土の同胞もわかってますよ。瀬長さんのように国民を信じないで、どうしますか」と話した。
そして笑顔になり、皺深い両手を伸ばして私の手を包んだ。
「お互い日本人として頑張っていきましょう。沖縄の言葉に、いちゃりばちょーでー(一度会ったらみな兄弟)というのがありますからね」
※藤田さんは朝日新聞社の論考サイト「論座」で、連載「ナショナリズム 日本とは何か」を2019年4月から毎週木曜に掲載しています。この記事は、その「沖縄編」から6月27日、7月4日、11日の掲載分をまとめたものです 。