ナショナリズム 沖縄の保守【上】~戦後日本とは何か

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「沖縄の保守」という存在

 日本復帰後の沖縄を考える時、忘れてはならない存在がある。「沖縄の保守」だ。

 戦後日本の外交・安全保障の基軸は日米同盟であり、極東の平和と日本の防衛に沖縄の米軍基地は欠かせない――。そう唱える政府に対し、「沖縄の保守」は葛藤しつつ協力し、基地負担軽減と振興を進めようとしてきた。

 現実の中で郷土の発展をつかみ取ろうとする「沖縄の保守」は、「基地のない島」という理想を掲げて政府に厳しく臨む「沖縄の革新」とぶつかってきた。1972年に日本に戻った沖縄での知事選をはじめとする主な選挙は、今回の参院選沖縄選挙区に至るまでそんな構図の繰り返しだ。

ともに豊かで平和な島を目指す点で沖縄の保革は重なる。にもかかわらずぶつかるのは、沖縄戦の凄惨な記憶に根ざす「基地のない島」という「沖縄の革新」の理想が、戦後日本に新たな「国体」として現れた日米安保体制と、まさに根幹で相いれないからだ。

 日本復帰から半世紀近く経った今も変わらない「在日米軍基地が集中する沖縄」の矛盾を、「沖縄の革新」は突き続ける。

 「ナショナリズム 沖縄と日本」の項では、3回にわたって「沖縄の革新」を代表する政治家・瀬長亀次郎(1907~2001)について書いてきた。

瀬長は沖縄戦以来の米軍統治からの「祖国復帰運動」に尽くし、日本復帰後も衆院議員として「基地のない島」を訴えた。彼の言う「島」とは、沖縄にとどまらず日本列島であり、沖縄から日本を変えようという主張だった。

 「沖縄の保守」の側にあってその瀬長を尊敬していたのが、昨年知事在職中に急逝した翁長雄志だった。

 昨年夏、知事在職中に67歳で亡くなった翁長は、死の間際まで「イデオロギーよりアイデンティティー」と訴え、沖縄の保革の対立を乗り越えようとした。ただ、そのために選んだ道は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古沖への県内移設を進める安倍晋三政権との対峙だった。

 実際、2014年に知事となってからの翁長は、政権に容赦なかった。

 「(安倍首相が)日本を取り戻すという中に沖縄は入っているんですか」
 「政府は沖縄県民を日本国民として見ていない」

 かつて「沖縄の保守」として自民党県連幹事長の職にあった頃にみられた政府への遠慮は、微塵もなかった。

本土に生まれ、短い間ながら沖縄で取材をした記者として、私は翁長のそうした言葉をかみしめる。そこにあるのは、明治維新以来、近代国家としてひとまとまりの存在であろうとしてきたはずの日本とその国民が、戦後日本に生まれた日米安保体制という「国体」の矛盾を沖縄に集中させていることへの無作為、無関心に対する、痛烈な批判である。

 一体ここは日本なのか――。

 そんな言葉を、かつて「沖縄の保守」だった知事が吐露するようになってしまった今、それでも「沖縄の保守」にとどまる側の声に耳を傾けたいと思った。ふと頭に浮かんだのが、知事の翁長と沖縄の将来をめぐり県議会で激しく議論した、ある県議の顔だった。

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