政界が夏の参院選へ慌ただしさを増す6月下旬、東京・渋谷のとあるビルの地下で映画の試写会があった。8月公開の「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯」。米軍基地からの「民族の解放」を唱え続けた沖縄の政治家・瀬長亀次郎(1907~2001)の生き様を追う、佐古忠彦監督の二作目だ。
佐古さんとは10年ほど前、政治記者として永田町の取材現場で重なっていた。その頃から、もっとさかのぼれば米軍統治下の沖縄で瀬長が祖国復帰を叫んでいた頃から、沖縄の人々の苦悩は変わっていない。そんな思いを佐古さんと共有するような映画だった。
日本は敗戦から7年の1952年、沖縄を切り離して主権を回復した。米ソ両陣営による冷戦下での米側との「片面講和」によるものだった。米軍が「太平洋の要石」として統治を続ける沖縄にも、日米安保条約を結んだ日本にも、米軍基地は残った。
瀬長が率いる祖国復帰運動は茨の道となった。沖縄戦の悲劇を繰り返すまいと、「全面講和の早期締結」によって戦争と基地のない日本に戻ろうと唱えていたからだ。
瀬長を「敵」、つまり共産主義者とみる米軍の弾圧が追い打ちをかけた。それでも屈せずに瀬長が目指した「祖国復帰」と「民族の解放」とは、一体何だったのか。
今年2月下旬、私は沖縄を訪れ、那覇市内の瀬長ゆかりの地を内村千尋さん(74)と巡った。瀬長がこまめにつけた日記に出てくる次女の「ちーちゃん」は、父亡き後もその人生を見つめ続けている。自宅に残る山積みの資料を整理し、沖縄の戦後を語る講演やガイドをし、今は市内にある瀬長の資料館で館長を務める。