【書評】金城馨著『沖縄人として日本人を生きる~基地引き取りで暴力を断つ』

この記事の執筆者

今年もエイサーの季節が終わろうとしている。お盆のエイサー、全島エイサーは沖縄の夏の風物詩だ。しかし、沖縄県民にもあまり知られないもうひとつのエイサーがある。それが毎年大阪の大正区で行われるエイサーまつりだ。

 大阪市大正区は住民の約2割が沖縄出身者とされ『ウチナーンチュの街』とも呼ばれる。路地を歩けば石敢當、沖縄料理屋やマチヤグヮーまで健在だ。

著者は、75年から同区内で「エイサー祭り」を続ける沖縄青年の集い「がじまるの会」の創設メンバーである。がじまるの会は、「沖縄青年は団結しよう」「集団就職者の生活と権利を守ろう」「沖縄の自然を守り、文化を発展させよう」と、3つのスローガンを掲げ、1975年1月26日に、「関西沖縄青少年の集いガジマルの会」として発足した。また、著書は、85年から関西沖縄文庫を開設している。そこは文化活動の拠点であり、アイデンティティに悩むウチナーンチュの若者が訪れる場所でもある。

沖縄から移り住み差別のなかで生きざるを得なかった一世。沖縄人の誇りと自信を確立するためエイサーを始めた比較的若い世代や二世。しかし年配の一世は、「沖縄の恥さらし」と怒鳴り石を投げた。それは、「沖縄」を隠すことで自らの居場所を作ってきた年配の一世の自己防衛と、沖縄人として生きようと、外へ開こうとした若い世代や二世との衝突であった。 

しかし、それは対立ではないと著者は言う。間違いか正しいかの二者択一ではなく、また、先人たちを否定するのではなく、その「共有」こそが、前へ進むために大切なことなのだと。

その上で、差別が存在している社会のなかで、一つになることの怖さを指摘する。

「違いを維持したまま共生するために『壁』は重要であり、その隙間で対等な関係をつくる。疲れたら『壁』の内側に戻り、元気になってまた出て行ったらいい」。 

寄り添うといいながら同化を迫る人たち、「一元的」な価値で支配する「基地はどこにもいらない」という人たち。これらの「正しさの暴力」に抗うために。

この記事の執筆者