あまり知られていない名護市議会の意見書と決議

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普天間・辺野古の問題の本質

民主主義国家においては、市民には安全保障も含めて様々な主張や考え方があるということが当然の前提である。そこで民主主義は公共の課題に関する決断を下すための重要な手段として多数決の原理を用いる。しかし民主主義は、多数派が、少数者や個人の基本的な自由(権利)を取り上げることがあってはならない。一見すると、多数決の原理と、個人および少数者の権利の保障とは、矛盾するように思える。しかし実際には、この二つの原則は、民主主義の基盤そのものを支える一対の柱なのだ。

新しい提案では、「本土の理解が得られないから」という不合理な区分(差別)により決定した辺野古新基地建設を止めること(少数者の権利の保障)、普天間基地の県外・国外(無条件撤去も含む)を国民的議論(最終的には国会)により決定すること(多数決の原理)、仮に普天間代替施設が国内に必要だという結論になるのなら、本土でも一地域への一方的な押付けとならないよう、憲法41条や92条、95条の規定に基づき、公正で民主的な手続きにより解決することを求めている(少数者の権利の保障)。

なお、憲法41条は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定め、立法権を国会に独占させている。ここから「国政の重要事項」については行政だけで決めるのではなく国会が法律で決めなければならないということが導き出される。

次に、憲法92条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」と定めており、新基地建設を内閣の決定のみでこれを進めるのでなく、地方公共団体の自治権をどのように制限するかは法律で規定されなければならないということが導き出される。

 そして憲法95条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」と規定する。

そうすると、米軍基地の設置は「国政の重要事項」であり、地方公共団体の自治権を制限するものであるから、当該地方公共団体の住民投票による承認を得て、国会において米軍の新基地を建設するための立法を行うことが必要である。このようなアプローチこそが憲法が国に求める民主主義、地方自治の趣旨である。

昨年2月24日に実施された辺野古県民投票で有効票数のうち7割を超える反対による県民の民意が示された。これは憲法95条が求める住民投票と同様の状態を沖縄県民が自ら作ったと言えるのだ。

実は、これもあまり知られていないが、名護市議会は昨年12月23日、「全国の都道府県及び市町村は、国に対し、憲法第95条を遵守し適用して、新基地建設を強行しないことを求める」決議も行っている。

ところが、政府は、「辺野古が唯一の解決策」として工事を止めようとしない。これは、多数決の原理と少数者の権利の保障という民主主義の二つの原則の双方を侵している問題である。公共の課題である安全保障政策(安保の是非・米海兵隊の日本駐留の是非)を多数決によって決断せず、「軍事的に沖縄でなくても良いが、本土の理解が得られないから」という理由で「本土」と「沖縄」という不合理な区分で普天間基地の代替施設を同じ沖縄に押し付け、多数により少数者の自由(権利)を奪っているからだ。

そして、これは憲法14条が定める「法の下の平等、差別の禁止」に反する沖縄の人たちの人権を侵害している問題である。

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