危機管理と民主主義

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【おすすめ3点】

■モモトVOL39(編集工房東洋企画)

特集「民主主義について」で沖縄の自治や人権を多角的に議論。

■沖縄発 新しい提案(同実行委編、ボーダーインク)

沖縄内外の市民らが「辺野古」の民主的解決を提案。

■沖縄祖国復帰物語(櫻井溥、大蔵省印刷局)

復帰前後の国の沖縄政策にかかわった元官僚の回想。

集団の防衛本能

新型コロナウイルスをめぐる危機管理は安全保障の有事に通じる、民主主義の底力が試される局面でもある。不安にかられて買いだめにはしる個と、他者への疑心も相まって統制強化を請う集団の防衛本能は矛盾なく混在する。個々の身辺にリスクが迫る中、社会で行き場を失いつつある「弱者」をどう守るのか。政治と世論の動向は社会の民度を映す鏡ともいえる。

安全保障に絡む沖縄の基地政策に対してはどうだろう。

新型コロナの感染拡大を受け、県が独自に「緊急事態宣言」を出した翌日の4月21日、国は辺野古新基地建設の設計変更を県に提出した。辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票から1年余を経て、事業を進める意思をあらためて鮮明に打ち出した形だ。

反対が7割を超えた投票結果について当時の防衛相は「沖縄には沖縄の民主主義があり、国には国の民主主義がある」と発言し、釈明に追い込まれた。この解釈だと、絶対的少数者である沖縄の民意は常に劣位に置かれることになる。

「県民投票の会」代表を務めた元山仁士郎は県民投票後、「本土」で計64回講演した。「辺野古」の工事が続く現状を踏まえ、参加者から一度ならず「沖縄は日本から独立すべきだ」との意見を浴びた。元山はその都度、「学校でいじめられている子に対し、『あなたは転校したほうがいいですよ』と言っているようなもの。それはいじめられている側(沖縄)が決めることであり、他の子(本土側)が言うことではない」と反論したという(2月24日付『沖縄タイムス』)。

「本土」の「上から目線」は政治的立場を越えて根深い。元山は「この国の民主主義という価値観は何を大事にしたいのか」(同日付『琉球新報』)と嘆く。実際、民主主義は多面的だ。

「辺野古」を容認する嘉陽宗一郎は元山との対談で「『どうしてそう考えるのか』ではなく、『どうしてそういう風に考えるようになったのか』を聞くことで理解が深まる。違いだけをクローズアップするのではなく、共通点を見つけどう生かすか」(『モモトVOL39』)と分断克服を模索する。沖縄の若者層の思いを代弁する嘉陽や元山は「対立」を望んでいない。

「県民投票の会」副会長を務めた司法書士の安里長従は『沖縄発 新しい提案』で「沖縄に民主主義が適用されなければ、日本に民主主義がないことと同じ」だとただす。

「辺野古」の基地建設は「軍事的に沖縄でなければならない」からではなく、県外の配置に「本土の理解が得られない」のが真相だ。政府が閣議決定のみを根拠に「辺野古が唯一」と沖縄に押し付けるのは法の下の平等に反する差別であり、民主主義や立憲主義の価値を共有する社会のメンバーとして許容できない。そう考えるならば、「辺野古」の工事を停止し、国民的議論を踏まえた国会審議を経て県外・国外を前提に代替策を決めよう、というのが「新しい提案」だ。この提案に全国37議会が陳情採択や意見書可決の形で応答した。

提案の土台には、作家の大城立裕の著書『内なる沖縄 その心と文化』(1972年、読売新聞社刊)での指摘がある。

「沖縄人は戦争体験があるから、反戦平和の思想が根づよい」といわれるが、「これがどの程度に正確な認識であるか、私は疑っている」と大城は明かす。

「『戦争体験』即『反戦』『反基地』ということが正確であるならば、戦争体験者に自民党支持者はいないはずである。しかし、戦争を体験しながら自民党を支持しているひとたちは、『あんな戦争はごめんだから、安全保障体制を強化して戦争を抑止すべきだ』という。これが自己矛盾だということは短絡であろう。ゆずってこれが論破可能な破綻だらけの考え方であるにしても、そのような意識が民衆のなかにいくらもある、ということは重要なことであろう」

大城のこの論を、安里はこう捉える。戦争体験者ですら「戦争につながる軍事力一切を否定すべきだ」という考えと、「安全保障体制を強化して戦争を抑止すべきだ」という意見に分かれる。この対立を乗り越えるには、戦争の悲惨さを訴えるだけではなく、最終的には、平和についての論理的な公共的討議によるほかはない、と。

沖縄県が設置した有識者会議「万国津梁会議」は3月、辺野古新基地建設が軟弱地盤の発覚で技術的、財政的に「完成は困難」であると指摘し、「普天間飛行場の速やかな危険性除去と運用停止を可能にする方策を具体化すべきだ」とする提言書を答申した。提言はそのために、日本全体で沖縄の基地負担軽減と安全保障を議論することを求めているが、「本土」の反応は鈍い。

「本土防衛の担保」

復帰前後に沖縄開発庁などで沖縄政策の立案、遂行に奔走した元官僚の櫻井溥は『沖縄祖国復帰物語』で「安全保障問題に近寄ることを避け、そこ(沖縄)が静かにしてさえくれれば、後は米軍が安保条約の下で何とか日本を安全に守ってくれるだろう、と思ったことはなかった、と言い切れる人は一体どれだけいるだろうか」と、自身を含む「本土」の深層心理を暴いた上で、沖縄県民の心のうちをこう読み解く。

「沖縄の米軍基地が本土防衛のために担保に供されているということを結果的に見て見ぬ振りされつづけてきたことを鋭く感じとっているのだ」

「自分さえよければ」という利己主義と、「全体」のため一部の犠牲を黙認するドライな世論は顔つきが似ている。コロナ危機が去った後、世界はより内向きにシフトするのだろうか。

【本稿は4月26日付『毎日新聞 沖縄論壇時評』を加筆しました】

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