自民党内の「辺野古見直し論」は何を意味するのか

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自民重鎮が共用化提言

ところが、「変化の兆し」はこれにとどまらない。自民党の重鎮からも「辺野古」に対する懸念が示されたのだ。防衛庁長官や防衛大臣、安全保障法制担当大臣を歴任した衆院議員の中谷元氏だ。

 松原耕二さんがキャスター編集長を務める6月15日のBS―TBS「報道1930」に生出演した中谷氏は、イージス・アショアの配備計画停止を評価した上で、辺野古新基地建設についても「あと十数年、1兆円かかる。その間に中国はじめ国際情勢は変わってしまう」と言及。「もっと自衛隊が(米軍の役割を)肩代わりし、しっかりした安全保障を日米で検討すべき」と述べた。

 中谷氏の真意はどこにあるのか。本誌のインタビューに中谷氏はこう答えた。

「確かに、このまま進めるのはどうか、という思いがあります。そう思ったきっかけは、埋め立て予定地に軟弱地盤が見つかったことです」

 辺野古新基地建設の工期や工費が大幅に膨らんだ主な要因は、埋め立て面積全体の4分の3を占める「マヨネーズ並み」と言われる軟弱地盤対策だ。防衛省はコロナ禍の4月、軟弱地盤の改良工事などを追加する設計概要の変更承認申請を沖縄県に提出した。

 中谷氏は言う。

「設計変更が沖縄県に提出されていますが、今の県政はあらゆる手段をもって反対すると言っています。おそらく裁判になって国と沖縄が対立することが予測されます。しかも設計変更が認められたとしても、完成までにはさらに10年以上もかかる。巨額の予算と労力を投じて、今のように沖縄県と政府が対立したまま強引に造ってしまう形で本当にいいのか」

 中谷氏はあくまで「個人的な思い」と断った上でこう提案した。

「沖縄の皆さんの理解を得るため政府と県と名護市が話し合って、軍民共用の飛行場ができないか検討してみてはどうか」

 軍民共用は、新しいアイデアというわけではない。1996年に日米が普天間飛行場の返還で合意した後、代替施設については沖縄県の意向も踏まえ、99年の閣議決定で「辺野古沿岸域」とすることや、「軍民共用空港を念頭」に整備する方針などが示されていた。

 しかしその後、米軍再編に伴う日米協議で建設場所を沿岸部に近づけ、V字滑走路に変更することなどで日米が合意。これに伴い99年の閣議決定が破棄され、06年に新たな閣議決定が行われた際、「軍民共用」方針は葬られる形になった。

 中谷氏の案はこうした経緯を踏まえ、地元の理解と協力を得る話し合いの「てこ」にしたい考えだ。中谷氏はさらに自衛隊との共同使用も提案する。

「米軍だけではなく自衛隊も、沖縄北部の人たちも合わせて使える飛行場になれば、地域の安全安心と理解にもつながります。制度的には可能で、三沢基地(青森県三沢市)も米軍と自衛隊と民間で共用しています」 

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