すべてを失った戦後
柳田さんの語りは終始穏やかだ。むごい戦争体験の話でありながら、ゆっくりと話す声は落ち着いていて、顔には柔和な笑みをたたえている。学生には想像を絶する現実が少しでも伝わるようにとの切なる思いゆえだろう。
その語りが一段とゆっくりになったのが、3歳の妹の死について。栄養失調で歩けなくなり、日本に帰る船に担架で運ばれ、海の上で息を引き取った。最後は10kg程度しか体重がなかったが、一度も泣くことなく笑顔で死んでいった。
「私は海が好きです。釣りに行くときは必ずお菓子を持っていきます。洋子お菓子だよ、と言いながら海に投げます」。言いながら、柳田さんの目がうるむ。私も目が熱くなるのをこらえきれない。教室に学生たちのすすり泣きが広がった。
終戦は新たな試練の始まりでしかなかった。日本に戻った子供3人は母親から預かった財産を没収され、孤児院に入れられる。帰国した父親が迎えに来たが、子供を抱えては働けないと全員別々の家庭に養子に出された。柳田さんも学校へ行かせてもらう約束で奄美大島の農家にもらわれたが、山の中で一日中家畜の世話をさせられる。「親の愛とはどんなものなのかなあ」柳田さんはつぶやいた。
生活を奪われた。家族を奪われた。未来を奪われた。当たり前にあったはずのものを戦争が奪った。南洋戦・フィリピン戦を初めて知った学生はこう感想をつづった。「もう他人事ではない」。
※本稿は、2019年10月に沖縄タイムス紙に掲載された連載「思潮」の転載である。