– 異質の意味 –緑ヶ丘保育園への米軍機部品落下事故から3年

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みんな本当は当事者

部品落下事故から3年。個人的に肌で感じたことがある。それは基地について声を上げると〝異質〟にされることだ。

あっち側、そっち側、反対運動してる人、だ。

実際落下事故をきっかけに疎遠になった人もいる。当時署名活動をしていた私に「どうしたの?何か政治的に使われてるの?」と心配して声をかける知り合いもいた。

ただ子どもたちの空を、当たり前の安心安全な空を求めているだけなのに、声を上げ行動を起こすと大丈夫?人が変わったみたい…と言われた。1人や2人じゃない。

そりゃ変わるよ、娘の命が危険にさらされて変わらない親がいる?と反論しつつショックだった。大切な子の命を守る為に声を上げたら「異質」ということになった。今となってはもう気にしないが、当時の精神的ダメージは大きかった。

ただ少しだけ内心ばつが悪かったのもあった。

それまで普天間基地は私にとって不愉快な存在だったが、反対運動や集会に参加するほどではなかった。義兄は辺野古で新基地反対のカヌー隊に参加をするが、えー大変だな、とよく思った。

基地は嫌だ、でも行動を起こすまでは…という日々。恥ずかしながら、そもそも私のような一市民には何も出来ないし、基地はなくならないし…という風に考えてもいた。2017年12月7日以前までは。

事故前の私と事故後の私。どちらが異質なのか。

他人事の様に過ごしてきた前者が、私にはよほど異質に思える。

それからの日々は矛盾だらけの基地問題を考えるようになった。

夫は仕事柄基地問題に精通しており、丁寧に説明をする彼から、無知な私はただただ勉強するばかりだ。

夫とはお互いの仕事や娘のこと、プライベート、とにかく色んなことを話す。その会話の中で基地問題について、私の様な働き盛りで子育て世代の方達が、沖縄戦や基地があるが故の弊害について、会社などで勉強会のような機会があり、それを家庭で気軽に、身近に話し合える場があればいいのにね、という話をした。

落下事故の当事者になり、活動した中で色んな言葉をもらった。

そんな活動してどうしたの?

凄いね、でも基地問題ってよくわからないけど。

どうせなくならないよ、基地は。署名しても意味がない。

皆の言葉はきっとどれを取っても嘘ではない。

本音と現実と願いと諦め。

私達大人の基地に対してのスタンスだ。

子ども達には平和学習がある。

県外の人には沖縄戦を学ぶ勉強会がある。

だけど私達県民には?もちろん平和学習がちゃんとあり、昨年行われた県民投票やこれまでも行動を起こす場があり、民意を示している。

ただ日々の中にある基地との共存に見え隠れする現実を、異質としてでなく当たり前の日常会話として話が出来たら。

ライフスタイルの一部として基地問題をもっと気軽に、大切な問題として話が出来ないか。

「なんで?」と問われて、あの頃と同じ答えしかできない現実を変えていけるよう、私に何が出来るか。

そして、まわりから感じる「異質」を変えられるようにしたい。

みんな本当は、あっち側、そっち側、じゃなく等しく当事者なのだから。

上空を飛ぶ普天間基地のオスプレイ。学童の前で

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