「出ておいで。遊ぶところではないし、暗闇はばーちゃん苦手だから」
小学校低学年の時、姉や近所の幼馴染とかくれんぼをしていた私を引っ張り出すばーちゃん。祖父母の部屋にある、仏壇の横にあった観音開きの赤茶色の布団をしまうタンスに隠れていた。
敷布団と掛け布団が山を作り、身を隠すにはもってこいの場所。
秘密基地のようなスペースがあり、ふかふかの布団の香りも大好きだった。お気に入りの隠れ場所はもう一つあった。洋服が吊るされている隣のたんすは扉がいくつもあって、中に段差があり小学生の小さな体がおさまる。私にとって祖父母の部屋はかくれんぼにとにかく最適な空間だった。荒らされたくなかったはずだが、狭くて暗い所が苦手だとばーちゃんは私が隠れるのを嫌がった。戦時中暗闇を歩きとても辛い思い出ばかりだった、年を重ねて夜道も苦手になったさーと、笑いながら私を引っ張りだす。
慰霊の日が近くなり一層ばーちゃんじーちゃんを思い出す。
戦時中、ばーちゃんは18歳だった。家族で戦場を逃げ回った。じーちゃんは21歳で母親と離れ徴兵された。
ばーちゃんのたんすに隠れていたあれから35年ほど。42歳になって迎えた6月、身近で光を通さない場所を探してみると、唯一あったのが押し入れの中だった。
目を開いても閉じても映るのは何も変わらない漆黒。まぶたの中を見ているのか、押し入れの端を見ているのか分からない。ただ自分の体の感覚しかない。
夜中に一人、電気を消した部屋の押し入れに入る。静けさに耳が痛くなる。
闇に飲み込まれてしまいそうな怖さを感じ、数十秒もしないうちに急いで出た。床に足を着け、現実に戻った気持ちになる。戦時中、ばーちゃんが歩いた道は電気なんてついてはいなかっただろう。道も瓦礫と死体が散乱し、砲撃も受けながら暗闇をひたすら歩き、息をひそめ隠れたのだろう。
今更ながらどうだったのかと思い暗闇に入るが、こんなものじゃないんだと例えられないような気持ちに苛まれた。だが想像する。
日差しが強い外を歩けば日傘を広げる。喉が渇けば水筒の水分を摂る。
雨が降れば傘を差す。涼を求めクーラーをつける。お腹が空けばご飯を作り、好きなものを自由に食べる。柔らかな枕で夢を見る。明日はどこへ行こうと考える。頭が痛いと横になる。読みたい本の世界に足を伸ばして没頭する。大切な人と笑い合い、また明日ねと笑う。お風呂に入り、さっぱりする。娘の髪を乾かす。
行ってらっしゃい。お帰り、いただきます、ごちそうさま、おやすみ。一日の挨拶。
これは私の日常の一部。毎日の何気ない瞬間。76年前、沖縄で出来なかった事。想像する。