一人一人が今すぐ出来る動きを!―遺骨で基地を作るな!緊急アクション!

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コロナ禍で運動の物理的現場が奪われてきたこの1年だが、私たちはSNSなどをうまく活用しつつ広汎で同時多発的な市民活動を行うことで、政治に具体的な変化を起こすことが出来ることを学んできた。検察庁法反対運動・BLM運動・反性差別運動などがその例だ。その時と同じくらいの熱量と想像力を、今沖縄で起こっている人道上の問題にも向けることが出来れば、政府の蛮行を止めることが出来るはずだ。市民の関心が高まれば、全国メディアの報道を促すことも出来る。「市民の行動が報道を促し、それがさらなる市民の行動を呼んで、政治の変化に繋がって行く」という好循環を作り出すために、どうか今すぐ自分の出来ることを始めて欲しい。

町田そのこ氏の小説『52ヘルツのクジラたち』が本屋大賞を受賞した。この一年、日本社会が「届かない声を聞き取る」という課題に対峙し続けてきたからこその受賞ではなかっただろうか。クジラにとって52ヘルツの音は、生物学的に聞き取れない音である。しかし、あらゆる社会問題を考える上で重要なのは、「私たちが聞き取れるのに無視している声」の存在である。沖縄からの声も、その顕著な一例なのではないだろうか。

具志堅氏をはじめ、沖縄の方々は沖縄本島南部のことを、「戦没者の遺骨が染み込んだ土地」「一帯がお墓のような場所」と表現される。泥沼の地上戦の現場になり、遺骨収集も完遂できないまま戦闘終了後76年が経過した今、沖縄の土と戦没者の遺骨は同化してしまっているからだ。「そんな土を基地の建材にしてはならない」というウチナーンチュの方々の心情は、霊山信仰を守ってきたヤマトンチュも想像可能なはずだ。

そして、その沖縄本島南部に染み込んでいるのは、沖縄住民のみならず、日本兵・米兵・朝鮮半島出身者など、様々な背景を持った遺骨だ。そんな遺骨が同じ場所から出てくるという事実が、日本の侵略主義戦争の規模感を示している。そのような場所の土を埋め立てのために海に投げ込むのは、国家的な戦争記憶の忘却・戦争責任の放棄を象徴するようにも思われる。

人間の尊厳の蹂躙を憚らない政府を許していれば、その刃はいつか自分にも向かってくる。一人の人間として沖縄からの命懸けの問題提起に応答し、政府の蛮行を止めるために今すぐ出来ることをしなければ、いつか自分の生活も脅かされる。先の戦争で私たちが学んだのは、民主主義や人権を第一にする政治の貴重さである。この問題は沖縄という一地方の政治問題ではない。日本全体の戦後処理・戦争体験継承・人権意識・民主主義に関わる問題である。そうであれば、今回の土砂採取問題に対してもウチナーンチュの方々と危機感・切迫感を共有し、戦争の反省を拒む政府に対峙していかなければならない。これが具志堅氏の言う「弱者の連帯」の実践であるはずだ。

どうか「遺骨で基地を作るな!緊急アクション!」への参加と情報拡散への協力を、重ね重ねお願いしたい。

具志堅氏は、これは「勝てる試合」だと断言した。日本社会の主権者にとって、これは「勝たなければならない試合」だ。

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