復帰49年目の父のパスポート

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「沖縄事」だと思わないで

5月15日。毎年復帰に合わせて行われている平和行進が昨年に続き、今年もコロナウイルスの影響で中止となった。

2018年の集いに娘と参加した私は、県外から平和行進に参加した方に声を掛けられた。当時私は、娘の保育園への米軍機からの落下物事故を受け、上空飛行停止を訴える活動をしており、前日に登壇した集会にいらっしゃったという。その場で私は、「基地問題を沖縄事(他所ごと)だと思わず、自分事と捉えて欲しい」と訴えた。

その方は、初めて平和行進に参加して会場の熱気と歴史の重みに戸惑ったと話し、観光地にばかり目が行きがちな沖縄のもう一方に目をやると、フェンスの向こうに広大な米軍基地が広がり、その過重な基地負担を目の当たりにしたそうだ。そして、涙ながらに声を振り絞り、「沖縄事だと思っていません」と娘を見て言ってくれた。

娘の命が脅かされた2017年の空も、あの時の平和集会の空も、そして両親が道を切り拓いてきた日々の空も、私たちの空だ。

たった49年前、半世紀前。アメリカ統治下で琉球住民だったのだと、身近にある父のパスポートで証明されると、色々な感情に苛まれた。

移りゆくものと、変わらず存在し続ける基地がある。
戦争が残したあまりにも大きな負の遺産は、復帰49年の時を経てもまとわりつく。基地問題が解決される歴史を、私も体温で感じたい。両親が激動の沖縄を生き抜いてきたように。
そのために自分に何が出来るか。父や母、祖父が生き抜いた現実を忘れず、行動を起こそうと改めて思った。

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