「戦前回帰」は、現在の政治家・メディアだけの手で、今いきなり起こされた現象ではないはずだ。凄惨な戦争体験を反省したからこそ掴み取ったはずの立憲主義・民主主義が、これほど容易に崩れてしまった背景には、その崩壊のプロセスを容認し続けた日本の市民の精神的・思想的弱さがあるのではないだろうか。
丸山真男は「日本の思想」の中で、日本の宗教観が一神教的な「究極の絶対者」を欠いているが故に、普遍の原理・規範を追求する姿勢が生じなかったと主張した。「現実と規範との緊張関係」、つまり「本来かくあるべき」という普遍的理想状態に現実が追いついていないことへの問題意識が生まれにくく、「支配体制への受動的追随」「『ありのままなる』現実肯定」に堕落してしまうと言う。
戦後の日本人は、GHQから移植された立憲主義・民主主義を素直に受け入れたが。しかし、それをスローガン的に仰ぎ見るだけで、現状の社会を批判したり、社会を理想に近づけるために行動する規範として、自らの生活実践に根付かせようとしてこなかった面はないだろうか。
敗戦体験の衝撃が大きすぎたことが、立憲主義・民主主義の物神化を助長した可能性もある。加藤周一は「天皇制について」の中で、「国民の大多数の意識の中で否定されたのは、天皇の権威ではなく、権威そのものであった」と述べ、「天皇を中心とした世界の崩壊が作り出した権威一般に対する不信用の態度は、民主主義そのものにも向けられている」と警告した。
加藤の主張によると、これまで金科玉条の如く信じ込んできた天皇の絶対性が、連合軍の圧倒的軍事力によって崩れ落ちるのを目撃した日本人は、「世の中に普遍的・通時的に正しいものなどない」というシニシズムに陥ってしまった。もし日本人が立憲主義・民主主義に対しても、同様の疑念を向けてきたとしたら、憲法を「絶対変えてはいけない理想の規範」として維持し続ける強い動機を持つに至らなかったのかもしれない。
原因を何に求めるにせよ、戦後の日本人は絶対普遍の規範を持つことに、大きなこだわりを持ってきた訳ではなさそうだ。「日本人の法意識」における川島武宣の議論によれば、そのような日本人の意識が、法律が規定する内容と、法律の規定の規範性そのものに対する不確定性を生み出している。
法律の意味を「確定的・固定的なもの」として捉える西洋社会に比べ、日本社会は法律の意味を「本来不確定的・非固定的のものとして意識し承認している」ので、その場の状況に応じて法を随時解釈することばかりに走りがちだ、との問題提起だ。
近代的な法体系が日本に持ち込まれたのは明治維新が起きてからだが、封建的な主従関係で組織された江戸時代の社会に、いきなり西洋的な社会契約論に基づく法体系が接ぎ木されることになった。結果、普遍的人権の保障ではなく、臣下の主君に対する封建的義務(要は個人間の上下関係)を基軸にした前近代的な法意識が克服されていないとの事情もあるらしい。
そのことを頭に入れ、前田哲男・飯島滋明編著『国会審議から防衛論を読み解く』を読んでみると、確かに政府の答弁は、「自分たちの進めたい法案・政策を正当化するためにその都度憲法解釈を改める」というスタンスばかりで、「そもそも憲法違反の疑いがある法案・政策は許されない」との規範意識が薄い。つまり、「憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(憲法第98条)という原則が、頭から抜け落ちているのである。
その結果、法案を正当化する具体的な憲法の条文を示せなかったり(例えば2003年4月24日、有事法制の憲法上の根拠を巡る、自民党の久間章生議員の答弁)、具体的な権限やプログラムの内容を「これから検討」「個別具体的に判断」「ケースバイケース」などと言ってしまったりする事例が頻発する。冷戦終結後、自衛隊の海外派兵が増えてからその傾向は酷くなっているが、日本の再軍備以降一貫して見られる傾向のようである。
つまり、国会による監視・規制を受けないまま、政権のやりたい放題がまかり通るという、民主主義の機能不全が70年間続いてきたということだ。この異常な状態を、時の政権は、選挙で勝利したのだから国民の「信任」(例えば1999年3月26日、周辺事態における武器使用を巡る、小渕恵三首相の答弁)や「信頼」(例えば2001年10月16日、テロ特措法と国会の事後承認を巡る、小泉純一郎首相の答弁)を既に得ていると言って正当化してきた。
このような説明が看過されてきた一因には、未だ「御恩と奉公」に基づく主従関係にとらわれ、「憲法を遵守し、人権を保障する限りにおいてしか政権は正統性を持たない」という立憲主義の原則を会得できていない、我々市民側の意識の問題もあるだろう。
こうしてみると、日本の立憲主義・民主主義は、「重要土地等調査規制法案」という一撃によっていきなり破壊されたのではなく、日本人の精神意識に支えられた長い過程の中で、着々と崩されてきたものだと推測される。しかしながら、政権側が法案の明確な違憲性を一切顧みず、たった十数時間の議論で強行採決に走り、国会がそれを正当化してしまった点で、「踏み越えてはいけない一線を越えた」とは言えるだろう。