「核共有」という選択
かつて米軍は「北ベトナムを石器時代に戻してやる」と公言し、全土の焦土化にむけて沖縄を拠点に第二次大戦時を越える無差別空爆作戦を3年間にわたり展開したが、この恐るべき戦争犯罪を想起させる事態がロシアの侵略によって生じている。ウクライナにおける「非人道的な大惨事」は国際社会に大きな衝撃を与え、欧米諸国では軍備増強に拍車がかかり、日本では、独伊などNATO五ヶ国で行われている「核共有」の仕組みを導入せよ、との主張が安倍元首相などによって提起されている。しかしそもそも安倍氏は、2014年のロシアによるクリミア併合に対して欧米諸国が制裁を加えている中で、プーチンを「信頼できる指導者」と呼び、16年末には「日露経済協力」に乗り出した。当時、パノフ元駐日露大使が「日本が対ロシア制裁のレジームから抜け出た」と高く評価した(「Sputnik日本」2017年4月29日)」ように、これはまさに“制裁破り”そのものであり、クリミア併合を事実上黙認しプーチンを増長させることになった。今日の事態を見るとき安倍氏の責任は重大で、およそウクライナ問題で発言する資格などあるはずがない。
ところで「核共有」とは具体的には、米国の核兵器を日本に配備し共同運用するという構想であるが、戦術核は「核密約」の対象となった沖縄に配備されるであろうし、沖縄が占領された場合は戦闘機がその沖縄に核を投下するという恐るべきシステムである。さらに何より、NATOでの核共有の仕組みはNPT(核拡散防止条約)の締結前に構築されており、いま日本が導入すると、核兵器とその管理の「移譲」と「受領」を禁じたNPTの1条と2条に違反する、との批判に直面せざるを得ない。
「核武装」という選択
5月23日、来日したバイデン大統領は岸田首相に対し、米国は「核の傘」による「拡大抑止」で日本を防衛するとの意志を強調した。ここには、日本のタカ派が叫ぶ核武装論を抑えこむ狙いが見てとれる。しかし、例えば歴史人口学者のエマニュエル・トッドは、「核の傘」はナンセンスで幻想と断じる。なぜなら、中国や北朝鮮が米国本土を核攻撃できる能力があれば、「米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ない」からである。こうしてトッドは、日本が自ら核を保有する以外の「選択肢はない」と主張する。
しかし、トッドの議論の致命的な誤りは、日本が核武装するためにはNPTから脱退せねばならず、仮に日本が脱退すれば核保有を求める多くの国々も追随しNPT体制は崩壊する、という「悪の連鎖」を全く認識していないところにある。イスラエルやインド、パキスタンの場合は当初からNPTに加盟していなかったが、北朝鮮は核開発に伴い事実上の脱退を表明した。つまり、日本の核武装は北朝鮮と同じ道を歩むことになる。さらに、日本のNPT脱退は明らかに「一方的な現状変更」を意味し、国際社会に対し深刻な打撃を与えることになる。
ところでウクライナ危機は、5大国に核保有を認めているNPT体制の前提を問うこととなった。なぜならウクライナ侵略によって、「何をするか分からない」といった精神状態にあるプーチンのような人物が核のボタンを握っている、という問題が露呈したからである。実はこの問題はすでに、トランプが大統領に就任した際に、「短気で切れやすい性格」「ツイートするように核のボタンを押す」との危惧が拡がったことで議論の焦点になった。早くも17年1月には、議会の承認なしに大統領は核を先制使用してはならないとの法案が提出され、当時の米戦略軍司令官は「違法なら命令を拒否する」と明言し、警鐘を鳴らした。プーチンを称賛するトランプが仮に大統領に再選されるならば、一億の日本国民の安全が「トランプの傘」に依存するという、恐るべき事態が再び生じることになろう。そもそも、自由や民主主義といった価値観とは無縁のトランプの再選は、バイデンとの間で形成されつつある新たな日米同盟の枠組を崩壊させることになろう。
さらにこの問題は、核抑止論の前提を崩すことになろう。なぜなら核抑止論は、核による“脅し”を相手側が理性的に判断することで抑止が機能する、という論理構造になっているからであり、仮に相手側の指導者が理性を欠いているならば、そもそも成り立たない。NPTのもとで核保有が認められている国の指導者が公然と核使用の“脅し”をかけるという事態を踏まえるならば、NPTはその役割を終え、「核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法は核兵器を完全に廃絶すること」を謳った核兵器禁止条約こそが最も現実的、と見なすべき時代が到来したと言うべきであろう。