ウクライナと「破滅への道」

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 「軍縮アジェンダ」の警告

以上の考察を踏まえて、ここで改めて、世界を危機に陥れているウクライナ戦争とは何か、根本的に捉え直しておかねばならない。その際に問題のありかを鋭く抉りだしているのが、「無秩序で際限ない軍拡競争」が人類や地球に「壊滅的な結末」をもたらすであろうと世界に向けて警告を発した2018年の国連「軍縮アジェンダ」である。そこでは国連が取り組むべき「課題の核心」として、核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器や宇宙の軍事化に対処する「人類を救う軍縮」、破壊力を増した通常兵器の氾濫による膨大な市民の犠牲に対処する「生命を救う軍縮」、さらにはAI兵器やサイバー攻撃など「ゲーム・チェンジの兵器」に対処する「将来世代のための軍縮」が掲げられている。驚くべきは、これら三領域の軍縮の課題が、今日のウクライナで悲劇的に凝縮されていることである。つまり、際限ない軍拡競争こそがウクライナの悲劇をもたらしたとも言える訳であり、これこそが引き出されるべき最大の教訓のはずである。

ところが、日本をはじめ各国の対応は真逆であって、これら三領域における軍拡が目指されているのである。それでは、こうした果てしない軍拡の行き着く先はどういうものであろうか。英紙「フィナンシャル・タイムズ」(4月29日付)はプーチンによる核使用の可能性の問題にふれるなかで、「世界のほとんどの人にとって、これまで生きてきた中で最も危険が大きくなっている」と警鐘を鳴らした。「軍縮アジェンダ」が提起した、人類と地球の「壊滅的な結末」というシナリオが現実のものになりつつある、ということであろう。

こうした情勢を踏まえるならば、今の状況で軍拡に走るなどということは、愚かしさの象徴であろう。現にシンガポールのシェンロン首相は、アジアにおいて各国が防衛強化に動けば「軍拡競争に陥る」と警告し、このままでは「無法な弱肉強食の世界となり、弱い国が苦しむだけでなく、強国も戦闘で貴重なエネルギーを無駄遣いにすることになる」と述べて「軍拡の回避」を呼びかけた。さらに、シンガポールはASEAN諸国のなかで唯一ロシア制裁を実施しているが、同首相はウクライナ問題の一つの結論として、「紛争を始めるのは簡単だが、結末を予想するのは極めて難しいということだ。仮に戦争に勝ってもその代価は甚大だ」と、きわめて重要な指摘を行っている。(「日経新聞」5月26日)

「戦争の悲劇的な結末」

今回のウクライナ戦争によって改めて認識されたことは、「国際世論」の持つきわめて重要な役割である。フェイク・ニュースの問題があるとはいえ、SNSによって世界中に発信される戦場のリアルな実態や各国市民社会の動向は、ウクライナ支援の大きな波を呼び起こしロシアの孤立化をもたらした。とすれば、「次の戦争」が危惧されるアジア・太平洋地域において、シェンロン首相が強調するように、「いかに戦争が馬鹿げたことか」「始めることは簡単としても結末は悲劇的である」という国際世論をつくりあげ戦争を未然に防ぐ、という方向性を目指すべきであろう。

ウクライナの衝撃から軍拡の緊要性を引き出すならば、それは根本的な間違いである。ロシアの侵略が「新たな時代」をもたらしたとの指摘がなされるが、「軍拡には軍拡」という発想こそ“旧時代”のものであって今回の戦争の本質的な問題が何一つ理解されていない、と言わざるを得ない。今回の戦争は、際限ない無秩序な軍拡競争の行き着く果てを示しているのであって、ここからさらに軍拡に拍車をかければ、待ち受けているのは人類と地球の「壊滅的な結末」に他ならない。可能であれば中国国内もふくめ広く国際社会に、軍拡の愚かさ、戦争の悲劇的な結末という人類が直面している未曾有の危機を訴え、大きな国際世論をつくりあげていかねばならない。

仮にこのまま無政府的な軍拡が進めば、核と宇宙とサイバーとAIが組み合わされた「人類絶滅兵器」が登場するかも知れない。究極の抑止力であるとともに、抑止(脅し)論の行き着く先が「狂気」であることを鮮明に示すこととなろう。改めて、ウクライナ戦争は軍拡競争が孕む「狂気性」を浮き彫りにしているのであり、逆に軍縮の必然性を世に問うているのである。

SDGsと軍縮

ところで、ロシアの侵略によってこれまでの国際秩序が破壊されたが新たな国際秩序の

方向性が見いだせない、との議論が主流となっている。たしかに困難なテーマではあるが、一つの重要な手がかりを与えてくれるのが、2015年の国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)である。たしかにSDGsについては、欧州諸国の利害の反映であるとか、あるいは「現代のアヘン」といった批判がなされている。特に後者については、まさに本質規定であることは間違いがない。とはいえ、人びとの認識がそこに到達するためには具体的なプロセスに歩み出すことが必要であって、諸問題に取り組む重要性は排除されないはずである。

そこで改めて着目すべきは、先の「軍縮アジェンダ」とSDGsとの関係である。実はアジェンダは、SDGsを推進していくためには「軍縮という目標を実現していくことが不可欠である」と強調しているのである。たしかに、世界中で天文学的な巨費が軍事に投じられれいる現状では、SDGsの17の目標を達成することなど夢物語であろう。だからこそ、欧州の投資家のなかには、売上高の5%以上を軍需関連が占める企業には投資をしない、といった取り組みもなされてきた。

しかし、ストックホルム国際平和研究所によれば、2021年度の世界の軍事費総額は2兆1130億ドル(4月下旬のレートで約271兆6400億円)と、初めて2兆ドルを突破したという。今回のウクライナ戦争を受けて、22年度の軍事費がどこまで膨れあがるか、想像を越えるものがある。さらには、軍事への投資こそが侵略を抑え「持続可能な社会」を保障するものだ、といった論調が強まるかも知れない。こうなれば、SDGsは文字通り“死に体”となろう。

今やまさに、決定的な分岐点である。右のような論調が勝つか、あるいは、軍拡と戦争がいかに愚かで人類と地球の破滅をもたらすことになるという主張が勝つか、鍵は国際世論の動向にかかっている。SDGsの実現と「軍縮アジェンダ」を結合させる方向で新たな国際秩序を展望していく、こうした道筋に踏み出さないならば、代理戦争によって沖縄も本土も戦場と化すであろう。

【本稿は5月3日付琉球新報掲載記事「ウクライナと破滅への道」を大幅加筆しました】

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