ウクライナと「破滅への道」

この記事の執筆者

「攻撃の意図」という問題

例えば北朝鮮の場合、歴代政権の安全保障問題に深くかかわってきた北岡伸一・JICA理事長は、「北朝鮮にとって最も重要なのは、日本からの巨額の資金の獲得なので、対日攻撃の可能性は低い」と断じている。(北岡・森「ミサイル防衛から反撃力へ」『中央公論』2021年4月号)この認識にたてば、北朝鮮脅威論などは馬鹿げた話となってくる。たしかに、朝鮮問題の専門家の多くが、北朝鮮の狙いは「体制保障」にあると論じている。とすれば、北朝鮮の核開発は自国を防衛するための抑止力の確保であり、そのおぞましい体制問題を別とすれば、核保有国や「核の傘」のもとにある諸国が核抑止によって自国防衛をはかろうとするのと、論理的には同じ地平に立っていることになる。

しかし他方で、安倍氏が煽るように「敵の狙いは日本の殲滅」ということであるならば、まずなすべきは、稼働中の全ての原発の停止であろう。現に、先の自民党の「提言」ではウクライナ情勢を受けて、「原子力発電所などの重要インフラ施設への攻撃など、これまで懸念されていた戦闘様相が一挙に現実のものとなっている」と指摘されている。とすれば、日本海をはさんで北朝鮮やロシアと向き合う島根における原発再稼働などは論外のはずである。ところが、同じ自民党が参院選での公約として「原発の最大限活用」を打ち出している。政権党内でエネルギー政策と防衛政策が、まさに支離滅裂の状態を呈している。周囲を「敵」に囲まれたイスラエルが原発を保有しない背景を検討すべきであろう。

それでは中国の場合はどうであろうか。ロシアのウクライナ侵攻をうけて「台湾有事」の切迫性が喧伝され、抑止力の強化が叫ばれている。しかし、仮に台湾が独立を宣言すれば中国はいかなる犠牲を払っても軍事侵攻するであろうというのが専門家の一致した見方であり、ここではいかなる抑止力も全く機能しない。中国に対する見方が余りにも“甘い”と言わざるを得ない。しかし逆に言えば、問題の核心が独立か否かという、すぐれて政治外交的な問題にあることが確認される。

そもそも、台湾の独立は明らかに「一方的な現状変更」を意味し、中国に侵攻の格好の口実を与えるものである以上、関係諸国は独立への動きを注視せねばならない。この意味では、ウクライナのゼレンスキー政権が昨年9月のバイデンとの会談でNATO加盟に具体的に踏み出したことは「一方的な現状変更」にあたり、プーチンの侵略への野心に火を付ける結果となった。プーチンを厳しく批判し続けてきたローマ法皇が他方で、「NATOはロシアの玄関口で挑発を続けた」と批判した所以である。

「挑発者」の役割

それでは、尖閣諸島についてはどうであろうか。丸裸で防備困難な尖閣を中国が奪取する軍事的な意味合いがどこにあるのかという問題は別として、改めて尖閣問題とは何かが問い直されねばならない。それは、沖縄が1972年に日本に返還される際に米国が尖閣の主権のありかについて「中立」の立場を打ち出したことに根源がある。つまり、尖閣がどこの国に帰属するのか分からないという立場をとった結果、そこを中国が突いてきているのである。ところが日本政府は、こうした無責任きわまりない米国の立場を変更するように公的な申し入れを一度も行ったことはない。事実上その立場を黙認しているのであれば、尖閣の主権のありかについては「棚上げ」をして、中国や台湾、さらに沖縄をも含めて、危機管理にむけて早急に協議を開始すべきである。

そもそも尖閣が政治問題として先鋭化した契機は、2012年4月に当時の石原東京都知事がワシントンのタカ派のシンクタンクにおける講演で、尖閣諸島を都が「買い上げる」との方針を打ち出したことにあった。本来ならば石原氏は、なぜ米国は尖閣を「日本固有の領土」として認めないのか、なぜ久場島や大正島を米軍管理下に置いたままで日本人の立ち入りを認めないのか、と厳しく抗議すべきであった。しかし彼の矛先は中国に向けられ、米国側も認めたように中国を「挑発」するところに主眼があった。つまり、尖閣をめぐって日中間で「軍事紛争」を引き起こし、そこに米軍が「踏み込んでこざるを得なくなる」ような状況をつくりだすことに大きな狙いがあった。まさに「挑発者」そのものであり、野田政権による「尖閣国有化」を経て日中間の対立が激化することになった。(拙著『「尖閣問題」とは何か』岩波現代文庫、2012年、第三章)

冷静に振り返るならば、実は1960年代の末まで日本人の大半は尖閣諸島の存在など全く知らず、ましてや「日本固有の領土」などという認識さえなかった。とすれば、こうした無人島をめぐって戦争するなどという愚をおかさないために、以上の経緯からしても「領土問題」として対処するという方向に踏み切り、2014年の「日中4項目合意」に示されたように緊張緩和と危機管理に向かうべきである。

この記事の執筆者