立憲主義・民主主義の破壊者への抵抗
重要土地調査規制法案の調査の対象には、「土地等の所有者その他の関係者」が含まれており、「目的遂行罪」を規定した1928年の治安維持法改悪に類似した段階まで踏み込んでいることも指摘しておきたい。共謀罪・デジタル庁設置法・スーパーシティ法など、市民の監視・弾圧のための法整備も進んでいる。その点では、1925年より状況は深刻だと言えるかも知れない。
これほど恐ろしい重要土地等調査規制法案の成立が刻一刻と迫る今、市民は何が出来るのだろうか。オンライン署名や、関係議員・政党へのファックス、メディアへの報道強化要求などが考えつくが、国会の動きにどれほど影響を与えうるかは未知数だ。
しかし、無力感に駆られた末、投げやりになるのが一番危険である。藤野裕子『民衆暴力』には、「ひとたび民衆の暴力行使が始まると、日常ではなし得なかった行動が呼び起こされもする。(中略) 権力への対抗として現れた暴力が、途中から被差別者に向けられたり、反対に被差別者への暴力のなかに権力への対抗の要素が含まれたりもする」 (p.v)と書かれている。
複数の「民衆暴力」事例の比較から見えてくるのは、社会矛盾への不満をため込んだ民衆が何らかのきっかけで暴力行為に及ぶとき、その行為は権力者だけでなく、民衆のマジョリティの差別・蔑視の対象とされていたマイノリティにも向けられるという両義性である。「民衆暴力」は、マジョリティの鬱憤のガス抜きの機会になるかも知れないが、市民社会が分断を深める原因にもなる。相互対立を調停して市民の力を馴致することにより、権力側が新たな分断統治の形を作り上げる契機にすらなり得る。
関東大震災後、朝鮮人殺害の罪で罰せられたのは自警団を担った市民だけで、軍隊・警察ら公権力による犯罪は不問に付された (藤野, p.173)。当時発出された緊急勅令は、恒久法として治安維持法を制定するための足掛かりの一つになった。
治安維持法を成立させた権力者は、共産主義者・労働組合員・厭戦思想を持つ者など、「内なる敵」を場当たり的に作り出し、社会矛盾の責任を転嫁することで、その矛盾を生み出した自らの政治的責任を隠蔽した (NHK出版, p.109)。戦後、治安維持法被害者の救済は進まなかった一方、思想検事ら当時の弾圧の担い手は戦後も公権力の座につき続けた。
民衆は分断・処罰の対象にされ続ける一方、社会矛盾の根本原因を作り出した権力者の罪は裁かれず、彼らの権力は保たれるのである。
現在日本の立憲主義・民主主義は瀕死状態で、市民の鬱憤・無力感・絶望は日に日に高まる。しかし、それを暴力行為に転嫁しては、権力側の思う壺だ。現状に抗議するための非暴力的手段はまだ残されている。
上げられる声を上げ、取れる行動を取り続け、無力感に呑み込まれないようにしたい。SNSでお互いどのような発信・運動をしているか共有し、「微力だが無力ではない」との信念を確かめ合い、弱者の連帯を守り抜きたい。
最後に、治安維持法成立時、与党議員・枢密院委員にも反対勢力がいたこと、また同法が改悪されていく過程でも反対意見が皆無ではなかったことを指摘しておきたい。治安維持法が結社取締法として出発したのは、宣伝行為の直接的な取り締まりへの慎重意見が多かったからであり、国家社会主義と右翼過激派の取り締まりを狙った1935年の法改正は挫折している。
その点から見れば、与党のみならず複数政党が、憲法違反を孕む法案に一斉に賛成している現状は異常だ。憲法遵守義務を犯した彼らは、議員としての資格を既に失った、立憲主義・民主主義の破壊者である。
日本国憲法は、膨大な犠牲を生み出したアジア・太平洋戦争への反省から作られたはずだ。その理念を国会議員自ら破るとなれば、周辺国、特に日本の侵略を受けた国々は日本に対する不信感を強めるだろう。新たな国家安全保障の脅威を作り出しているのは、憲法違反を憚らない日本の政治家・官僚の方である。
国会答弁では、法案を準備した側の準備不足が連日露呈する。彼らは現場裁量が拡大・暴走する余地を意図的に残すことで、問題が生じても「想定外」「意図していなかった」などと言い逃れ、審議会委員・自衛官・警察官ら現場で働く公務員に全て責任転嫁するつもりなのだろうか。そう邪推せざるを得ない。現在の権力者の政治的無責任は、戦時中よりも酷く姑息だと言いたくなる。
これほどの暴挙を犯してまで、菅政権は何をしたいのだろうか。「国家安全保障」のためと言い、中国脅威論をまき散らす反面、6月2日午後11時頃に津堅島の畑に米軍機が不時着する事件を受けても、国は米軍に住宅地上空の飛行や夜間訓練の停止を求めることすらしない。
日米安保体制と自分の権力・利権の護持のため、市民の安全な生活を米軍に質入れする菅政権に、国家安全保障を語る資格はない。
来たるべき選挙では、憲法破壊を企て容認した議員に厳しい裁断を下し、政権交代を実現すべきだと強く訴え、本稿の結びとしたい。