「無能な法」の破壊力
重要土地等調査規制法案は、重要施設等の「機能を阻害する行為」という、明確な定義のないものを取り締まり対象としている。悪気なく行った行為や、自分の生活を守るための抗議活動が、ひとたび「機能阻害行為」と指定されれば、名指しされた市民は国家安全保障を脅かす「国賊」のように演出されるだろう。そうなれば、その市民は「内なる敵」として社会から孤立し、社会的制裁を受けることになる。
周囲の市民は、自身の行為が国家に正当化されたと感じるので、正義感から暴力に及ぶようになるだろう。「国家の安全を守っている」と一度自負すれば、自らの暴力を反省し、思いとどまる余地はなくなる。重要土地等調査規制法案は、市民の分断を加速させ、止めどなき暴力を引き起こす引き金なのだ。
なお、このような不安は当然沖縄に限定された話ではない。自衛隊イラク派兵に反対する市民が陸上自衛隊東北方面情報保全隊の監視を受けた事件や、風力発電施設建設計画を巡る勉強会に参加した市民が警察に監視された「大垣警察市民監視事件」などが既に起きている。
重要土地等調査規制法案における「重要土地」の定義は曖昧で、全国に拡大適用される危険性が指摘されている。「関東大震災時のパニックの再来は決して他人事ではない」と強調しておきたい。
加えて強調したいのは、「関東大震災時のパニックは治安維持法『成立前』に発生した」ということ、そして、「現在の市民の分断・市民活動の弾圧も、重要土地等調査規制法案『成立前』に発生している」ということである。
では、いざ重要土地等調査規制法案が成立すれば、何が起こるのだろうか。治安維持法が成立した後の日本の歩みを振り返りつつ、想像してみよう。
中澤俊輔『治安維持法―なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』(中公新書)・NHK「ETV特集」取材班『証言治安維持法―「検挙者10万人の記録」が明かす真実』(NHK出版新書)を読むと、治安維持法がその「無能さ」故に「稀代の悪法」となった事実が見えてくる。
まず、治安維持法には立法事実がなかった。日ソ国交樹立と男性普通選挙を控え、政府は無政府主義者・共産主義者による国体変革への恐怖心から同法案を提出した。しかし、中澤は「当時は無政府主義の体調が著しく、日本共産党は再建の途についたばかりであった。国体変革を目的とする結社は皆無であった」と主張する (p.57)。
そもそも「国体」という言葉自体、大日本帝国の中で使われているわけでもなく、学者・政治家が合意した定義を持っている訳でもなかった(中澤, pp.55-56)。結果、具体的に何を処罰対象とするかは、現場裁量による解釈に一任された。
さらに、法案作成者の本音と実際の法内容の間にも齟齬があった。特に司法省は共産主義者による「赤化宣伝」を取り締まりたかったようだが、内務省や反対議員との妥協を重ねた末、同法は「結社」取締法として成立した。
こうした不安要素を孕んで成立した治安維持法は、「共産党員でなければ結社罪に問えない」という限界性を露呈した (p.93)。つまり、共産党と直接関係を結んでいない労働組合・無産政党といった運動体や、共産主義・社会主義的な思想の広まりそもそもを取り締まることが出来なかった。
その問題を解決するため、田中義一は1928年に同法を改正し、「目的遂行罪」という新概念を盛り込んだ。これは、「日本共産党の活動を支えて党の目的に寄与すると見なされた、あらゆる行為を罰する」ものであり、「宣伝も当然含まれ」、「後には拡大適用されて猛威を振るう」ことになった (中澤, p.96)。
同法の改悪の結果、1930年代は「大検挙時代」となった。『証言治安維持法』には、共産党への加入歴も党員との繋がりも皆無な教員が組合運動に加わっただけで検挙された「2・4事件」の事例が紹介されている。現場裁量で「共産党の目的遂行」が闇雲に拡大され、勉強会への参加程度にも言いがかりを付けて「とりあえず検挙」する「予防的運用」が横行した(中澤, p.122)。
余りに無理筋な検挙が相次いだ結果、司法現場は混乱し、無罪判決が下される場合も発生した。「強引な基礎で自らの首を絞めた」思想検事らは、さらなる法改悪を要求、それが実現したのが1941年の「新治安維持法」である。この改悪により、取り締まりの対象が共産党外郭団体・国体変革を目的とした結社の組織を準備する「準備組織」・研究会や読書会などの「集団」・個人の目的遂行行為にまで急拡大した (中澤, pp.170-172)。
結果、新たな取り締まり対象を見つけるのが自己目的化した。『証言治安維持法』によれば、「反戦落書」「演劇グループ」「人形工房」といった合法的・非政治的グループや、少しでも戦争忌避思想を持つ個人、子どもや労働者を描いた生徒・教員らまで検挙されたという。
検挙者が増大すると、審理を迅速化する必要が生じ、自白調書が唯一絶対の証拠として使われるようになった。こうして、とりあえず検挙し、拷問・尋問の末、自白を強要・捏造する悪習が正当化された (NHK取材班, pp.220-227)。
なお、当時ですら拷問は法律上禁止されていた。にもかかわらず、莫大な現場裁量を認められた捜査現場は拷問を前提にした捜査・検挙へと暴走していったのである。「国体護持」という大義名分が与えられ、「天皇の警察・検察」を自負した現場は、弾圧の自己目的化を踏みとどまることが出来なかった。
治安維持法が「稀代の悪法」へと成長した過程をまとめると、次のようになる。
まず、法律の原初的「無能さ」が現場裁量の膨張を招き、検挙者が急増する。しかし、法文上の目的と取り締まり現場の本音とが合致せず、検挙の法的根拠も示せないため、現場は混乱する。
葛藤をため込んだ現場は、自己正当化のために法改悪を要求、なし崩し的に弾圧の範囲が拡大していく。国体護持に寄与しているという正義感に呑み込まれた現場は、自分たちがいかなる暴挙を犯しているか、反省する余地を持たない。
原初的「無能さ」を孕んだまま成立した法律だからこそ、その隙を取り繕うために、延々と暴力性が高められてしまうのだ。
重要土地調査規制法案は、治安維持法と同じ原初的「無能さ」を備えている。立法事実はなく、「重要土地」「機能阻害行為」といった重要概念の定義は曖昧、さらにこの法案をもってしても「外国資本の土地買い占めを防ぐ」という建前上の効果は望めない。
5月21日の衆議院内閣委員会で、杉田水脈議員は市民による基地反対運動を「機能阻害行為」呼ばわりした。それに対し政府・自民党が何ら特別な対応を取っていない事実は、この法案が市民運動弾圧を狙ったものであることを示唆していると思う。
しかし、いくら現在の政府・自衛隊・警察でも、いきなり大胆な拡大解釈で市民を弾圧する訳にはいかないだろう。むしろ小規模な拡大解釈で既成事実を積み重ねつつ、より大規模な取り締まりを望む現場のフラストレーションを蓄積させながら、府令・閣議決定か法改悪の形でお墨付きを与える時期を伺う算段なのではないだろうか。
治安維持法成立時、小川平吉司法相は議会で濫用の可能性を否定し続けた。濫用されたとしても、裁判所が適切に限定解釈するので、心配の必要はないとまで強弁したという (NHK取材班, p.247)。
その後同法が辿った道を見れば、重要土地等調査規制法案の濫用可能性を否定する政府側の答弁が信用に値しないことは明らかだ。「国家安全保障」という大義名分もあるし、現場が暴走する可能性はかなり高い。
なお、治安維持法の効果は、決して直接的な弾圧だけに留まらなかったことを忘れてはならない。むしろ深刻なのは、余りに拡大解釈・濫用が多発し、法律の予測可能性が皆無になった結果、市民の言論・運動のみならず、内面の思想まで萎縮を強いられたという事実である。
悪気ない行動が、知らないうちに「機能阻害行為」認定され、権力側による調査・規制や、知人からの密告の対象になるならば、誰も政府に反対する意見を持てなくなる。権力者が直接手を下さずとも、市民が進んで自己規制・相互監視するようになれば、社会全体が監獄かつマインドコントロールの場所と化す。「無能な法」の破壊力はすさまじい。