「文明国ナショナリズム」
中国に対する報道姿勢はその典型例だ。冒頭引用した朝日新聞の見出しが象徴するように、中国を「人権侵害国家」「ならず者国家」として一面的に描く点では、左右問わず多くのメディアが一致しているのではないだろうか。ミャンマー・北朝鮮などに関する報道姿勢も、同じ傾向にあると思う。このような報道の先にあるのは、そうした「野蛮国」を非難する「文明国日本」を自己正当化する、現代版「文明国ナショナリズム」である。
同様の傾向は、G7参加国、特にアメリカ・イギリスにも顕著だ。バイデン政権は人権国家を標榜して対中強硬姿勢を強めているし、イギリスもそれに追随して「新大西洋憲章」まで出す調子だ。そんな国際情勢の中、「自由で開かれたインド太平洋」のために米英との連携強化を目指す日本は、彼らと同じ「文明国」として「野蛮国」への強硬姿勢一辺倒になっていくのではないか、との疑念を持たざるを得ない。
怖れるべきは、中国・北朝鮮・ミャンマーなどを「野蛮国」と見做す点で左右が一致している以上、米英との連携・追従を前提とした「文明国ナショナリズム」に日本の論壇全体が巻き込まれる危険性だ。今はまだ菅政権に批判的な主張が生き残っているが、一度「文明国ナショナリズム」で左右両方が符合した場合、そうした主張の可能性が閉ざされていくのではないかと不安になる。
日露戦争時と同じ轍を踏まないためには、日本も米英も「文明国」であるとの言説を信じ込まないこと(政府の主張・メディアの報道の両方について言える)、国籍を問わずあらゆる人命を犠牲にする戦争・侵略行為の非人道性を忘れないこと、特に「文明と野蛮との争い」に巻き込まれる民衆への配慮を欠かさないことが必要だ。
その点で、現在沖縄で起こっていることを注視し続けることの意義は大きい。現在、「未開国」中国に対する「聖戦」の準備として、米軍基地の沖縄への一極集中と、自衛隊配備の拡張が正当化されている。「中国を抑え込むためであれば、沖縄の犠牲もやむを得ない」というのが、日米両政府・軍の正戦論的言い分である。
沖縄の方々の生活実態を見れば、その欺瞞性は一目瞭然だ。日本政府は地方自治の原則に反した辺野古新基地建設を強行し、そのために沖縄戦戦没者のご遺骨が染み込んだ沖縄島南部の土砂を用いる計画だ。米軍は深夜にも住宅地上空で飛行訓練を断行し、時には上空から住民に銃を向け、基地由来の有毒フッ素化合物PFOS・PFOAによって水源地を汚染する。そんな米軍に対し、日本政府は弱腰姿勢を貫くのみならず、重要土地調査等規制法案によって、米軍から生活を守ろうとする沖縄住民を監視・規制の下に置こうと企んでいる。同法案が成立すれば、沖縄の全域が「注視区域」や「特別注視区域」に指定され得ると報道されたばかりだ。
沖縄のメディアが報じる沖縄の現状を追っている限り、日米両国とも到底「文明国」とは言えないし、中国のみを一方的に「野蛮国」と断罪する安易な「文明国ナショナリズム」に絡め取られる危険性も減るだろう。
現在、ヤマトのメディアは、所謂「リベラル勢力」も含め、「文明国ナショナリズム」への十分な抵抗力を持っているとは思えない。その証左に、ヤマトのメディアは左右両方とも、中国脅威論を安易に流しがちな一方で、「遺骨土砂問題」や重要土地調査規制法案についての報道は満足いくものではない。
メディアによる「文明国ナショナリズム」の唱道に呑み込まれないようにするには、市民自らヤマトのメディアを相対化し、批判する必要があるだろう。
沖縄のメディアを追うのは大事な一歩になるし、中国・韓国など、日米両国の軍事戦略に巻き込まれる国のメディアを見るのも一手だと思う。私は韓国の公共放送KBSを見るのを習慣にしているが、市民運動の報道をするとき、運動を弾圧する検察・警察の様子まで克明に伝える姿勢には感心させられる。反基地運動を弾圧する機動隊の映像を流さないNHKとは対照的だ。
「身近なメディアが何を伝えていないか?」を見ることで、「文明国ナショナリズム」に抵抗するメディアリテラシーを身につけることが出来ると思う。
なお、日露戦争時の「文明国ナショナリズム」は、ウチナーンチュの方々の間にも蔓延し、結果としてヤマトへの同化と沖縄戦への動員に繋がって行った(その過程は又吉盛清『日露戦争百年』(同時代社)に詳しい)。
薩摩の琉球侵攻や、明治政府による琉球植民地化の記憶がもっと強く残っていれば、ヤマトの暴力性を批判し、ヤマトへの同化・動員に抵抗する力を持てていたかも知れない(勿論、ウチナーンチュの方々の抵抗の度合いがどうであれ、十五年戦争中のヤマトは「本土防衛」のために沖縄を犠牲にすべく、あの手この手を使っただろうが…)。
しかし、又吉氏の分析が示すのは、日露戦争による「文明国ナショナリズム」がウチナーンチュの方々にも共有されてしまった結果、日露戦争が沖縄に強いた犠牲も殉国美談にすり替えられ、沖縄が自らを犠牲にする総力戦に加担することを強いられたという事実である。
中国を仮想敵とする現在の「文明国ナショナリズム」も、既に沖縄に「輸出」されてしまっているだろう。「中国という『野蛮国』に対抗するためには、基地負担や重要土地調査規制法案などの理不尽や犠牲も受忍し、『文明国日本』に貢献しなければならない」という方向に沖縄の世論が向かわないことを願ってならない。
国籍関係なく人命を犠牲にする戦争の非人道性を語る沖縄戦体験者の方々の声、「平和の礎」や「魂魄の塔」に込められた戦争絶対拒否の思想、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんの人道主義が根付く限り、沖縄は「文明国ナショナリズム」への強靱な砦であり続けるだろう。ヤマトンチュの私は、そんな沖縄に向き合い続け、ヤマトにおける「文明国ナショナリズム」を抑制することに徹したい。