穀雨南風⑭~保阪正康さんの夏

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 半藤一利さんの孫である北村さんは、自分たちは二次的継承ができる最後の世代だと語った。

「おじいちゃん、おばあちゃんから戦争の話を聞くことができる最後の世代、そのことをきちんと理解してやっていく責任を負った世代なのかもしれないと感じます」

 北村さんは、病床にあった半藤さんから、ある日、一枚の企画書を渡される。

 そこには戦争中の37の言葉が手書きでびっしりと書かれていた。さらにタイトル案として「太平洋戦争、記憶してほしい37の名言」あるいは「孫に知ってほしい太平洋戦争の名言37」と書かれていた。

「半藤さんから何を託されたんだと思いますか」

 私がそう尋ねると、北村さんは少し考えてから口を開いた。

「私が戦争をどう受けとめて、次にどうつないでいくか。託されたというより、問いかけられたように思います。祖父は託したのかもしれませんが、私にとっては、どうしていくんだ、お前は、と問いかけられた気がしました」

 企画段階で並べられていた37の名言は、14ほど書かれたところで終わる。半藤さんが息を引き取ったためだ。半藤さんの最後の作品は、こうして編集者である孫の手で未完のまま世に出ることになった。

「自分の孫に最後の作品を託した、半藤さんはどんな気持ちだったと思いますか」

 そう尋ねると、保阪さんは目を細めて北村さんを見た。

「遺言のような気持ちだったんでしょうね」

 北村さんは、保阪さんのこの夏の思いをどう感じたのだろうか。番組の最後に、北村さんはこう語った。

「祖父がよく言っていました。歴史を学ぶということは『人間がしでかしてきたこと』を学ぶことであり、この先、『人間がしかねないこと』を学ぶことだと。『昔々あるところに』みたいな向き合い方ではなく、自分たちが将来どう生きていくのか、そこにつながっていく、そういう向き合い方に変えていかないといけないんでしょうね」

【本稿はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】

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