だから今日も私は「異常な空」を自分が出来るカタチで訴える~米軍機からの部品落下事故から4年

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「うるさいの作ったよ」

あれから4年。コロナ禍でなかなか保育園へ行く機会が失われていたが、冒頭の友人から連絡をもらい、保育園での催し物があったので先日、久しぶりに再会ができた。

懐かしい園庭。馴染みのある保護者や先生方。保育園の匂い。ああ、ここは娘が一番成長した場所だなと涙が出た。コロナが落ち着いている今ならと思い、神谷武宏園長先生とチーム緑ヶ丘2017の会長、宮城智子さんに声をかけ、11月18日保育園の上にある教会でお話を聞かせてもらった。

ずっと活動を続けているお二人だ。神谷園長先生は、点と点が線になり、沢山の方々と繋がる事が出来た4年だった。継承と継続は大切だと話された。宮城智子さんは、多くの人とつながれた4年だった。諦めないけどね。と優しい口調の中に強い意志を見せてくれた。

ゆんたく(おしゃべり)のなかで、3歳の在園児の話を教えてくれた。「うるさいの作ったよ」と先生に見せたのは、レゴで作ったオスプレイだったそうだ。園庭から機体の腹が間近に見えるので、特徴を捉え、とても上手に作れていたそうだ。機体の名前は知らない。でもうるさいのは分かる。はっとした。

保育園に通っていた娘が園内で絵本を読んでいた時、「ヘリがうるさいから手で耳を押さえたらどこまで読んだか分からなくなったの」と言って、保育園から絵本を借りてきたことがあったのを思い出した。絵本を両手でぎゅっと握った手と、3歳の子がうるさいのを作ったと言った手は同じな様な気がした。

話をしていたその日、宜野湾市は天候が悪く雨と風が強かった。何度も上空を飛び回る米軍機に話が中断した。静かな教会に雨音じゃなく爆音が響く。18日は普天間基地内でオスプレイが物資のつり下げ訓練をしていた。市街地に囲まれたど真ん中で悪天候のなか決行された訓練。話す内容と現実のズレにやるせない気持ちになった。


米軍機からの落下物があった緑ヶ丘保育園の屋根(明さん撮影)

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