だから今日も私は「異常な空」を自分が出来るカタチで訴える~米軍機からの部品落下事故から4年

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夕方園庭で冒頭の友人と待ち合わせをし、世間話からあの4年前の話もした。笑いから苦笑いになり、必死だったね、とにかく大変だったね、の言葉が出た。生きてきた中であれ程辛くて悲しくて怖くて悔しい日々は無かったと改めて思った。友人が「正直薄れていくんですよね。基地はずっとあって、あるのが当たり前で。そんな風に感覚が麻痺して・・うるさいし怖いけど。」と正直な思いを伝えてくれた。

友人の子は今6年生になった。覚えてる?と聞くと覚えていない、ただ怖かったと言った。

日常に溶け込む基地との共存。空気のように存在しそこにあり続ける。

薄れていく日常。そうだよな、月日は流れる。日々仕事に、育児に追われ、生活の一部の基地。

やがて近づく12月7日を前に色んな感情に苛まれた。

また起きた「落下事故」

2021年11月23日。宜野湾市役所近くにオスプレイから水筒が落下するという事故があった。自宅でテレビのニュース速報を観ていた。

しばし座り込む。あの日、緑ヶ丘保育園に落下物があった時も、ちょうど家にいてテレビのニュース速報を観ていた。一気にフラッシュバックする。息が出来なくなった。言いようのない怖さが襲ってきた。しばらくして冒頭の友人からLINEが。「またですよ」短文だけど色んな思いが詰まっている気がした。

この4年で米軍関係の事件事故は沢山起こった。その度に基地があるが故の弊害を私達が被る。もう嫌になり口をつぐみたくなる。無視をして考えないようにしたくなる。

どんなに声を上げても変わらないのなら、いっそ見て見ぬふりをしていた方が楽だ。

だけどそれはきっと、知らんふーじー(知らないふり)している加害者と同じだと思った。無知だった私が、娘の命が危ぶまれて気付いた現実は悲しいほど理不尽だけど、この場から声を上げるのは一番の武器なような気がした。だから今日も私は異常な空を自分が出来るカタチで訴える。友人の子が書いた、思い出したくない思いをさせたくないから。

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