憲法9条をもつ意味 転倒する政治家
国民主権・普遍的人権の尊重・平和主義・地方自治を掲げた「日本国憲法」を蹂躙し、今や「敵基地攻撃能力」保有まで主張する政治家たちを政権の座に就かせ続けるヤマトンチュは、軽々にプーチン大統領を非難し得るか?
平和的生存権を求める沖縄の方々の声を完全無視し、辺野古新基地建設を強行する上、自衛隊の「南西シフト」まで進める現政権は、ウクライナに軍事侵攻するプーチン政権と全く同じ過ちをしているのではないか?
プーチン大統領を非難するなら、同じくらいの憤りで日本政府を非難し、主権者として日本の権力者の姿勢を変える努力をしない限り、筋は通らない。
「日本国憲法」前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。その上で私たちは憲法9条を持ち、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄することを世界に誓った。SNS上には「憲法9条では軍事侵攻を防げないため、憲法改正すべき」といった言説まで見られる(「共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰ってたのでは?」という松井一郎・大阪市長のツイートなどが、そうした言説を煽っている)が、順番が転倒している。
「軍事侵攻を完全に防げる確証がなくとも、自ら戦争・戦争に繋がる行為を放棄することで、世界の人々が平和を希求する可能性への期待・信念を示し、戦争再来を防ぐ」ということが、自国の起こした戦争を反省し、第二次大戦後の新たな国際規範の構成者として自立しようとした日本が国際社会の前で行った誓約ではなかったか?
対米従属一辺倒で、軍事費を増強し、歴史認識を巡る隣国との対立を深め、特定の国への脅威論を煽り立てる現政権は、国際社会に重大な裏切りを犯している。
2019年2月24日の辺野古県民投票後、ウチナーンチュの方々は、「ボールは本土に投げられた」と訴え続けた。数多の憲法違反を重ねる現政権を選んだのは、主権者である私たちヤマトンチュに他ならない。今年の「2・24」は、その責任を自覚する日とすべきだった。