2022年2月24日。この日があまりに「普通の日」として始まり、私は朝から暗澹たる気分だった。辺野古新基地建設の是非を問う県民投票で、投票した県民の72%が反対の意思表示をした日から3年。そんな沖縄の声を、時の政権は「沖縄には沖縄の民主主義があり、しかし国には国の民主主義がある」との暴論で完全無視し、今も埋め立て工事を強行している。
沖縄の地方自治の力と、日本全体における民主主義・立憲主義の破綻を際立たせる「記念日」なのに、朝日・毎日・読売・産経・日経の大手各紙の社説も、NHKの朝の全国ニュースも、辺野古県民投票に全く言及することがなかった。2月22日の「猫の日」はメディアも読者も大盛り上がりなのに、今の日本の危うさを象徴する「辺野古県民投票の日」にはてんで無関心。沖縄に基地を押しつけ続けるヤマトンチュの一人として、そんなヤマトの現状を見、「沖縄の声は猫以下の扱いしか受け得ないのか?」と、申し訳なさと義憤に駆られた。
昨日のそんな「普通さ」は、午後、ロシア軍のウクライナ侵攻が速報されてから一変した。新聞各紙が号外を出し、SNSもウクライナ問題一色になった。ロシアの脅威が一方的に煽り立てられ、プーチン大統領を糾弾する西側諸国の権力者の声が繰り返し流された。大国の権力者が互いを挑発・非難し合い、「第三次世界大戦」がTwitterのトレンド入りするくらい、戦時の到来が世界の現実となってしまった。
第一次大戦後の1928年に署名された「パリ不戦条約」や、第二次大戦直後の1945年に発効した「国連憲章」の2条4項は、それまでの正戦論を否定し、戦争違法化を図ろうとした人類の努力の産物だ。ニュルンベルク裁判・東京裁判は、罪刑法定主義に抗う論理を打ち立て、戦争犯罪者を裁こうとした。「人類は、特に権力者は、戦争だけは絶対に選んではいけない」と決意した先人の知恵と覚悟が、未だに蔑ろにされる現実が悔しい。
そんな世界情勢の中、日本の市民は、「ロシア脅威論」に呑み込まれ、プーチン非難一辺倒になるだけで良いのだろうか?