「日本一幸せあふれるまち」にミサイル部隊がくる――沖縄県・石垣島でおきていること《市議会編》

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ミサイル部隊の配備

このような状況に至るまでに石垣島では、そして国内では何が起きていたのか。その理解のため自衛隊配備問題を時系列で振り返っておきたい。

政府が南西部諸島での自衛隊強化計画を打ち出すのは2010年。中長期的視野で安全保障政策や防衛力の規模を示す、政府の「防衛計画の大綱」にそのことが盛り込まれた。民主党・菅直人政権の時だ。日本最西端の沖縄・与那国島に沿岸監視部隊を配備する計画が明らかになる。中国の軍事的台頭を受けての、いわゆる「南西シフト」の始まりだ。

この年の2月、石垣市では4期16年続いた大濱長照氏の「革新」市政に代わって、自民・公明の推す中山義隆氏が初当選を果たした。

同じ年、アメリカでも転機があった。軍部とつながりの深い軍事系シンクタンク「CSBA」が対中国作戦構想案「エアシー・バトル」を発表。その中で、南西諸島を含む島嶼線「第一列島線」を中国・人民解放軍への「防壁」とする内容が示される。

これ以後、南西諸島の「ミサイル要塞化」は、中国を警戒するアメリカ軍の作戦構想と密接に関連していく。

翌11年2月、防衛省が宮古島、石垣、与那国各市町に対し、自衛隊配備に向けた調査実施の可能性を伝えたことが明らかに。13年には、陸海空自衛隊が沖縄島南東の沖大東島で、大規模な離島奪還訓練を実施する。

石垣市では14年の市長選で中山氏が再選される。その選挙告示日の2月23日、県紙「琉球新報」が、石垣の陸自配備予定地として島南部の新港地区と中部のサッカーパークの2か所が候補に挙がっていると報じる。これに対して、防衛省は峻烈に反応する。事実と異なるとして琉球新報社に文書で抗議するのみならず、日本新聞協会(東京)にまで「適切な報道」を申し入れるという通常考えられない措置をとったため、問題になる。

14年8月、防衛省は鹿児島県・奄美大島の奄美市と瀬戸内町に陸自配備の方針を固め、武田良太副大臣を派遣。与那国町では15年2月、自衛隊配備の是非を問う住民投票が実施され、賛成票が多数を占める。そして奄美、宮古、石垣各島に配備される部隊が当初説明された警備部隊のみではなく、ミサイル部隊も含まれることが明らかに。石垣市では、配備に反対する市民による「石垣島への自衛隊配備を止める住民の会」が設立される。

15年11月、若宮健嗣防衛副大臣が石垣市を訪問。沖縄県最高峰・於茂登岳ふもとの農業地帯、同市平得大俣地区に、警備部隊とともに地対艦誘導弾部隊、地対空誘導弾部隊を配備する計画を中山市長に説明して正式に打診する。敵の艦船、航空機を陸地からミサイル攻撃する部隊だ。配置される隊員の規模は500~600人。市長は、配備に反対している候補地周辺4地区(開南、於茂登、嵩田、川原)の住民と会って直接意見を聞く考えを示した。が、住民らが求める面談は行わないまま、翌16年12月、防衛省に配備に向けた手続きを容認することを伝える。

石垣市平得大俣の陸自駐屯地建設現場=2022年1月14日(撮影:川端俊一)

住民投票条例案は否決に

17年5月、若宮副大臣は市長に、駐屯地の配置図面案を提示。予定地の面積は約46ヘクタール。そのうち半分の約23ヘクタールは市有地。残りの民有地の多くは、与党側の市議会議員、友寄永三氏の会社が運営するゴルフ場だった土地である。友寄議員は、選挙では幸福実現党の推薦を受けている。

18年3月の石垣市長選は「保守」系が分裂する形になり、配備反対の「革新」候補と争うが、中山氏が三つ巴を制し、3選を果たす。同年7月、中山市長は正式に配備受け入れを表明した。

10月、市民による「石垣市住民投票を求める会」(金城龍太郎代表)が、平得大俣地区への陸自配備計画の賛否を問う住民投票の実施を求めて署名集めを開始。条例制定を求めるのに必要な署名数は有権者の50分の1に当たる約800筆だが、会は1万筆を目標に掲げ、1カ月で有権者の3分の1を超える1万4263筆が集まった。

しかし、翌19年2月、市議会での住民投票条例案の採決は可否同数になり、議長裁決で否決に。投票は実施されないまま、防衛省はゴルフ場だった民有地約13ヘクタールの売買・賃貸借契約を結び、3月には建設工事にとりかかった。着工を急いだのは、環境影響評価(アセスメント)を回避するねらいがあったとみられている。沖縄県の環境影響評価条例が改正され、本来であれば約3年かかるアセスの対象になるのだが、18年度中に着工すれば経過措置として適用外になるためだ。「アセス逃れ」の批判が市民から上がる。

着工後、中山市長は配備に反対する予定地周辺の住民と面談し、同省に対しアセスの実施は求めない考えを明言する。19年3月、鹿児島県・奄美大島に陸自奄美駐屯地と瀬戸内分屯地が、沖縄県宮古島市には陸自宮古島駐屯地がそれぞれ開設された。そして20年春、石垣市は、市有地22・4ヘクタールについて防衛省と売買・賃貸契約を結ぶ。これで用地の9割以上が確保された。

市議会では、野党の花谷史郎議員(会派ゆがふ)らが新たに議員提案の形で住民投票条例案を提出するが、それも否決されてしまう。「住民投票を求める会」は19年9月、市に対して投票実施を求め、那覇地裁に提訴する。拠り所にしたのが、「自治体の憲法」ともいわれる自治基本条例。その条文から、市長は議会を通さずに住民投票を実施できるとの解釈を根拠にするが、20年8月の一審判決で却下され、翌年、最高裁で敗訴が確定する。現在、市民が住民投票できる地位にあることの確認を求める訴訟も起こされている。

一方、市議会与党側は、「求める会」が根拠にした自治基本条例の廃止を提案。19年12月の本会議で廃止案は否決されるものの、住民投票の根拠となる条項をそっくり削除する改正案が21年6月、与党側の賛成多数により可決されてしまう。市民の意見聴取も行わず、条例で決められた見直しに関わる手順も踏まずに「数の力」で押し切り、自治体の「最高規範」を骨抜きにした形だ。

以上が「ミサイル要塞化」の過程で起きている事々だ。

中山市政について、住民投票条例案を提案した花谷議員は「昨年の施政方針演説でも、自衛隊には一言も触れなかった。市長には、市有地を防衛省に売却したことで石垣市の関与は終わった、という考えがあると思う。それは評価できない」と批判する。

「要塞島」を防波堤に

前々回の記事にも書いたが、島々へのミサイル部隊配備は、住民の命と安全を守るのが第一の目的ではない。米中戦争を想定して南西諸島を防波堤にし、島内各地に移動可能な車載型ミサイルによって中国・人民解放軍の艦船、航空機を攻撃し、損害を与えるのが狙いである。万一、戦争になれば島々は当然、相手からの攻撃対象になり得る。つまり戦場になるということだ。

ロシアによるウクライナ侵攻でも分かるが、戦闘で破壊されるのは軍事施設だけではない。ひとたび戦場になれば、基地も民間地も兵士も民間人も見境はなくなる。しかもこれらのミサイル部隊は島じゅうに移動・展開して攻撃を繰り返すのだ。そのような危険を伴う配備であるにも関わらず、防衛省・自衛隊に住民を守る手段はなく、地元自治体もその術は持ち合わせていない。

それが急速に進む「南西諸島ミサイル要塞化」の実態である。

将来にわたって島の人々の命運を左右することになるミサイル部隊配備。次回は、この問題が2月の市長選でどのように論じられたのか、を考えたい。=続く=

【本稿は「note」より転載しました】

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