ウチナーへの復帰

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都合のいい部分だけ切り取った沖縄

あの時感じた違和感が、無意識の偏見だったではないのかと感じたのは、先月から夫の転勤に伴い再び関東での生活の中でだ。

2月、賃貸を探すため数カ所、不動産の方と一緒に物件を見て回った。

そこで言われたのが

「沖縄から来たのになまってないですね。」

ということだった。

悪気なんて一切ないのは分かる。でも軽く相槌を打ち黙ってやり過ごした。

あんなに浮き足立った20代と違って感じた違和感。そして次の不動産の方には「沖縄いいですよね。住みたいぐらい大好きなんです。」と教えてくれた。

誰も何も悪くない。ただその純粋な気持ちが私の中でモヤモヤした。そして辺野古新基地建設や普天間基地の事をすぐ思った。元同僚たちもそうだったが、基地の話を振られた事は一度もなかった。

私から慰霊の日や祖父が沖縄戦で兵士だったという話をした事があるが、へぇそうなんだ、という肌感覚であった。沖縄は好き、でも基地の話はよく分かりません、という様な都合のいい部分だけ切り取った沖縄。

20代の私がいた所は、もてはやされ羨望のまなざしを浴びた観光okinawa。

2017年に起きた当時娘が通っていた保育園に、米軍機からの部品落下事故があった日を境に、私の人生が180度変わった今は、異常な経験をした基地の中の沖縄。

当たり前に生活していた所は、基地との隣り合わせの危険な場所だった。片方に目をやると眩い沖縄。

もう片方は、米軍基地からの弊害で、空も海も地上も植民地扱いされている沖縄。

現状はこうですよ、そんな沖縄でも好きと言ってくれますか?と思う。

嬉しかったはずのあの頃が今は違和感を覚える。悪意の無い、無意識の決めつけの言葉が私を射る。基地が全てではないが、でも沖縄=基地、基地の沖縄だと私は思う。そして2022年5月15日の本土復帰50年の日をやがて迎え、沖縄と東京で同時開催される復帰式典が行われる。

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