「日本一幸せあふれるまち」にミサイル部隊がくる――沖縄・石垣島でおきていること《市長選・後編》

この記事の執筆者

得票数の意味

2月27日、投開票。午後10時前に地元テレビ局が中山氏に当確をうつ。中山氏の1万4761票に対し、砥板氏は1万2307票。前回選挙の「革新」宮良操氏9526票と「反市長派保守」砂川利勝氏4872票の合計には、2千票ほど届かなかった。

一方、中山氏の得票は前回よりも900票ほど上回った。投票率が約3ポイント下がったにもかかわらず、である。

なぜこのような得票になったのか。革新系会派「ゆがふ」の花谷史郎市議は「単純な話ではないか」と言う。前回選挙で中山市長に対抗して出馬した砂川氏の「保守」票は、砂川氏本人が出なければ目減りは避けられない。その票の流れる先は「保守」の中山氏へ、と考えるのが自然というわけだ。中山氏の得票増もそれで説明はつく。

また、砥板氏のこれまでの政治姿勢を考えれば、本来の「革新」票も取り切れなかった可能性は否定できない。今回、無効票が333票で2010年からの市長選では唯一300票を上回った。いずれの候補も支持しなかった前津究(きわむ)市議は「白票を投じた革新支持者が多かったのでは」とみる。「革新」側が目論んだ「足し算」の通りには、有権者は動かなかったということになる。

もう一点、中山氏が1月末に挙行した尖閣視察について有権者はどう考えたのだろう。結果を見る限り、マイナスに作用したとは考えにくい。批判されて票を減らすことは想定されるが、今回はむしろ逆に票を増やしたとは考えられないか。花谷市議は「それもあり得ると思う」。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのは、選挙戦最終盤の2月24日だった。世界的に「右傾化」が広がるなか、国境を抱える石垣市では「国防論が強調され、浮き彫りになってくる面はある」と花谷市議。全国規模、世界規模のうねりが、沖縄・八重山諸島という地域で、より見えやすい形になって現れているとは言えないだろうか。

新しい政治の「うねり」に

選挙の1カ月後、砥板氏に話を聞いた。「一問一答」で記しておきたい。

――中山市長と決別した最大の理由は?

市役所新庁舎の建設と赤瓦の問題が決定的だが、それ以前から、独善的で議会もないがしろにする市政運営が続いていると思っていました。長期政権を批判して市長になり、自分で「権不十年」と言いながら、それを翻して自ら長期政権に向かっていく。その弊害が見えていた。二元代表制である以上、議会との協調は必要だが、多数与党の「数」を利用して物事を進めようとする市政には危険性を感じました。1期目は、市長をたしなめる先輩議員もいたが、2期目、3期目になると、そういう人もいなくなり、行政も議会も意のままに操ろうとするところがありました。

――出馬表明の直前にも新聞記事で中国脅威論と自衛隊配備賛成の意見を述べておられる。そのお考えは今も変わりませんか?

そうですね。中国の覇権主義的な脅威が増しているのは間違いない。石垣市の行政区域である尖閣諸島での中国の主張や活動が年々エスカレートしている現実は受け止めなくては。それに対する一定の抑止は必要という考え方は変わらない。

市長候補の立場になり、革新系、リベラルの方々との意見交換の中では、私のこれまでの政治活動に対して厳しい指摘も受けたが、私には「国民の理解を超える国防はつくれない」という思いが以前からあった。自衛隊に関しても市民の理解を得られない配備はあってはならない。平得大俣への配備の発端から着工に至るまでを見ているなかで、なぜあの場所に陸自駐屯地ができるのか、なぜそういう計画になったのか、について周辺地区のみなさんが納得できる説明はなかった。私は推進側ではあったが、なぜあの場所なのかについての明確な説明はありません。防衛局が着工を強行した面は否めない。不安に思っている市民に説明はするべきだった。

駐屯地用地の半分に当たる市有地を提供した石垣市にも連帯責任が生じるが、中山市長は「国防は国の専権事項」と言って明確な説明を避けていた。私は「住民合意のない自衛隊配備には反対」という立場。島を二分したにもかかわらず、こういう配備の進め方を見過ごしていたら、今後、在日米軍、海兵隊の先島地区への一時駐屯や共同訓練などがなし崩し的に行われてしまう。言われるがまま、一方的に「防人の島」にされてしまう。それでは市民感情が耐えられない。

――陸自ミサイル部隊の配備により、戦争になれば石垣島は相手の標的にされると考えますか?

 その危険性はあると思います。ロシアのウクライナ侵攻を見ても、意図的に軍事施設を狙ってくるわけですから。野党候補として擁立される過程で、配備に反対する方々との話し合いでも、それが大きな部分を占めていました。そこで言っていたのは、平時にいきなりミサイルが飛んでくることはあり得ないが、武力衝突に至るまでにいろんな兆候があり、さまざまな段階がある。国民保護計画や武力衝突での島民の避難をどう考えているかを問われたが、武力衝突が起きる可能性が出てきた段階での国や石垣市の対策は検討しておく必要がある、と常に言っていました。

 ――立候補に当たって自衛隊配備計画に関する住民投票の実施を公約にされたが、当初は反対だった。その理由は?

 住民投票が提起された当時は、駐屯地着工に向けての最終段階だった。私は当時も今も、一定の抑止力としての駐屯地は必要という考えですが、住民投票の運動が駐屯地工事を阻止するという意味合いが強いと感じていた。工事反対のための住民投票だろうととらえて、当時は反対しました。その後、着工され来年には開設されるという段階に来ているが、駐屯地周辺で反対をしていたみなさんには憤りや、駐屯地ができてからの不安がある。候補者になり、厳しいこともいわれたが、地域の方々にはあきらめ感はあるものの、将来に対する不安は持っておられた。しかも、ちゃんとした説明を受けてない。この小さな島を二分して、わだかまりを残したままでいいのか、という思いは常にありましたし、反対する地元の方々の表情は目に焼き付いていました。

中山市長は反対する地区住民との面会も拒んできた。地域の方々を置いてきぼりにして反対運動がなかったかのように駐屯地ができて、それで終わらせようとしている。置いていかれた地域の思いがわだかまりとなって続いていく。住民投票実施で少しでもわだかまりが解けて、将来への不安が少しでも解消できるのであれば、駐屯地計画が浮上してからの進め方、沖縄防衛局や市の対応が適切だったのか、を「検証する」という意味の住民投票があってもいいと思う。

 ――もし住民投票を実施したら、賛否どのような結果が出ると思いますか?

 拮抗すると思います。もちろん結果を尊重すると言いましたが、実施するまでの過程で様々な議論がなされることが重要だと思っていました。賛成、反対それぞれの方々が意見を述べ、メディアも注目して、様々な意見を拾い上げていく。結果ではなく過程が重要になる、と。今年は大きな選挙が続く。「国防は国の専権事項」というなら、参院選に合わせて住民投票を実施してもいい。私は、国防やエネルギー政策のような国全体に関わることは一地域の住民投票にはかるのはそぐわない、と考えていましたが、すでに着工され、来年には開設される。わだかまりを残した地域の問題として、「検証」の意味で行われる住民投票であれば、9月の市議選に合わせてやってもいい。議員発議による住民投票は模索したいと思います。

 ――過去の政治姿勢から今のように変わったことの意味が、選挙戦で有権者に理解されたでしょうか?

 時間が足りなかったと思いますね。野党の一本化ができた時は告示まで1カ月を切っていた。なぜ私がこのような考えに至ったのか、を有権者にしっかり説明するだけの時間はまったく足りなかったと思っています。さまざまなレッテル貼りをされたが、一つ一つ説明するのは不可能に近い状態でした。

 ――選挙結果についてはどう思いますか?

 非常に短い期間で善戦はできたと思います。「保・革共闘」ということよりも、さまざまな意見を持った者同士で新しい政治の形にチャレンジをした「うねり」というものが、これからもっと大きくなるのでは。そういう可能性を秘めた結果だと思います。中山さんの陣営は従来通りの自民・公明という政党を中心とした組織戦でしたが、我々はいずれの政党の支援も受けなかった。政党やイデオロギーにとらわれない、市民が作り上げた選挙態勢であそこまで善戦できたのは歴史に残る市長選だったと思います。

 ――石垣市に自衛隊が配置されると、市民が選挙結果によって政府の政策に抗するのは難しくなる。でも、いろんな問題はこれから出てくるはず。御自身の今後の活動も含めて、どうお考えですか?

 今回1万2千余の票をいただいた。その中には新しい政治への期待感の票があると思います。多くの市民の可能性への思いはしっかり継続できる活動は続けていきたい。千人近い自衛官、家族の方々が市民になるが、自衛官の知り合いは多いし、考え方も見てきた。自衛隊票で選挙結果は左右されるだろうと思う半面、宮古島市では駐屯地ができた後に市政交代が起きている。自衛官の方もそれぞれ政治に対する思いは持っている。市民としてしっかり向き合っていかなければ、と思っています。

この記事の執筆者