「日本一幸せあふれるまち」にミサイル部隊がくる――沖縄・石垣島でおきていること《市長選・後編》

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「東京目線」で・・・

インタビューの後、砥板氏は「余談ですが」と言って、次のような話を続けた。

昨年末、記者会見で市長選への出馬を宣言した後、ある著名な人物から電話があった。保守の論客として言論界で活躍するその人とは、これまでも連絡を取り合い、様々な活動をともにしてきた。だがその電話で、現職市長への対抗馬となることを手厳しく批判されたという。砥板氏が「国防、安全保障も重要ですが、今の市政では石垣市はよくない方向へ行く。これではいけないとの思いで出馬表明しました」と答えると、その人は、地方自治は大切かも知れないが、それ以上に石垣市が国の安全保障に果たす役割の方が大きい――という趣旨のことを言ったのだという。

「その時、吹っ切れたというか。やはり『東京目線』『中央目線』でしか、この島を見てないのだな、と。多少のことは目をつむって国防のために『防人の島』として存在しなくてはいけないんだよ、という意味の言葉に、吹っ切れました」

もう話すことはない、と絶縁通告までされたが、寂しさなどは少しも感じなかったという。

市長選をめぐる砥板氏の評価はさまざまだろう。ただ、ひとつ言えるのは、沖縄の政治家の「立ち位置」を考えるとき、「保守」「革新」とは別に、もうひとつ、「愛郷」精神の強さがひとつの指標として存在するように思う。保革を問わず、「愛郷主義者」であるならば、「本土」政府の言いなりになることなどできない。いかなる条件を並べられても、譲れないことはある。かつての「革新」知事、故・大田昌秀氏、その大田県政と敵対していた「保守」の故・翁長雄志氏はその典型であり、ともに沖縄の政治家として日本政府と峻烈に対峙したことは一致する。

万一、日本がアメリカと中国の戦争に関与することになれば、「要塞化」された南西諸島が戦場になる可能性は決して低くない。しかし、大戦時の沖縄戦のように、島々が日本の国防の「捨て石」にされるようなことは絶対にあってはならない。

これからの沖縄政界での相克は、「保守」か「革新」か、よりも「愛郷主義者」としていかに強靭であるか、が問われるように思う。そして有権者は自らの思いを省みつつ政治家を見定める。そうなったとき、沖縄の「愛郷主義」に対する国家の暴圧が、これまで以上に強まっていくことが懸念される。

南西諸島の「ミサイル要塞化」が進む中、来春には石垣島の陸自駐屯地が開設される。島を取り巻く軍事と平和の様々な問題が、そこから始まることになる。沖縄の人々とその民意を担う政治家に「愛郷」の覚悟が問われようとしている。同時にそれは「本土」のわれわれが、ずっと前から問われ続けていることでもある。

【本稿は「note」より転載しました】

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