参院選 中村之菊候補の戦い

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沖縄とのかかわりは、19歳のときに東京で知り合った同い年の沖縄出身の友人が原点だ。彼女は会うと、常に「戦争」について語った。誰かを糾弾したり、なじったりするのではなく、ポツリ、ポツリと語る米軍や沖縄戦に関するイメージや記憶、感慨。そんな乾いた言葉の断片が妙に心に刺さった。「沖縄を無視しているおまえは右翼として正しいのか」と静かにまっすぐ、問い詰められているようにも感じた。

 沖縄ではほとんどの時間を、当時ヘリパッド建設が進んでいた東村の米軍北部訓練場のメインゲート前での演説に費やした。戦闘服姿で拡声器を担ぎ、たった一人で「基地撤去」を語りかける。そのスタイルは野伏のような異彩を放った。

 2018年12月に辺野古に土砂が投入されたときは抗議船に乗り込んだ。どうすれば工事を止められるか、ということばかり考えていた。ただ、本土出身者が基地反対運動に加わることには違和感を覚えたという。

「権力と闘っているみたいな気持ちになりたい人が本土から行って参加しているように感じました。自分を沖縄に重ねているだけで、加害の側にいることに気づいていないのではないかと」

 参院選立候補を決意したのは今年1月25日。きっかけは1月23日に投開票された沖縄県の名護市長選と南城市長選で辺野古新基地に反対する「オール沖縄」が推す候補が相次いで敗れたときの「本土の反応」だったという。

「沖縄に理解があるとされている議員から、『また頑張ればいいよ、次があるよ』といった声が多く発せられるのを見て、頭にきたんです」

 基地を押し付けている側が、基地を押し付けられている側に「頑張れ」と言う欺瞞(ぎまん)。「そういうのを、いい加減やめなきゃいけないと思って」

 選挙演説や集会では基地引き取りについて「反対でも賛成でもいいから、一度真剣にテーブルにつこう」と訴えた。「(東京の)お台場が辺野古みたいになると具体的に想像できれば、今のように7割以上が日米安保や在日米軍基地を肯定する世論も変わると思います」

 しかし、批判の矢はあらゆる方向から飛んできた。左派からは「基地はどこにも要らない」と突き上げられ、右派からは「国防はどうするんだ」と一喝された。

「右の人には『沖縄だけにこだわって国防の議論の入り口を狭めるべきじゃない』と反論し、左の人には『それでもう50年過ぎたけど、どうなりましたか』と問い返しました。『上の世代のあんたたちが残してきた課題を、私は子どもに残すのは嫌だからね』と」

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