「現実のことなのに。すみませんでした」
勉強会で例えていることをここで1つ紹介したい。
47人の学級がある。皆の重たいランドセルを誰かに持ってもらおうと決める。
体の小さい沖縄さんという人がいて、入口から近く出入りがしやすい場所に座り、ランドセルを持つ条件がいいからと、本人の意思など関係無しに46人が勝手に決め、クラスの70%に当たる約33個を持たせよう、と決める。(入口とは沖縄島の立地)
沖縄さんが抗い、反対の意思表示をしても無視を続け、どんなに抗議し拒否をしても押し付ける。
「これが基地を70%押し付けている例えです。33個、1人で持てますか?」
ある勉強会でこの例えを説明した。
終了後、あの監視員が拡声器で逃げて下さい、という映像の冒頭を見て
「まさか逃げてと言うのでは?」と失笑した方が発言をしてくれた。
「頭の中では漠然と沖縄に基地が集中し、基地をなくしたいと思っていましたが、こうして33個のランドセルを1人で持つという例えで、私は絶対に持ちたくないとハッキリ思いました。そして失笑してしまった自分を反省しました。現実のことなのに。すみませんでした。」と謝罪のお辞儀をされた。少しでもこの例えが引っかかり持ち帰ってくれれば十分だと思えた。
本当はみな当事者
娘の命が危ぶまれる恐怖は、やがて5年が経とうとするけれど鮮明によみがえり、勉強会で登壇するたび言葉が詰まって泣いてしまう。あの日テレビのニュース速報で流れた、保育園へ米軍機からの部品落下事故があったというテロップ。しばらく御飯が食べきれなくなった口の渇き。クリスマス前の肌寒い空気が漂う保育園の匂い。今も何も変わらない現実。
こんな思いはやっぱり誰にもさせたくない。その意思は今も変わらない。
沖縄では、米兵による事件事故が当たり前に起こる。沖縄県で毎週末というぐらい報じられる米兵による飲酒運転逮捕も、こちらで話すと驚きの声が漏れる。それも新鮮に思えた。何が異常で何が正常なのか。私自身、本土に来て、基地との共存でいかに感覚が麻痺しているか気付くことができた。
思えば祖父は沖縄戦で兵士だった。父は復帰前にパスポートを手に県外で過ごした大学生時代、沖縄から来たということで偏見にあった。娘と私は、米軍機からの部品落下事故の当事者になった。
沖縄戦からアメリカ統治下、そして復帰後も続く過重な基地負担。4世代にわたる月日が流れてもなお、米軍基地に縛られ続けている。沖縄県民はきっとほとんどがそうだろう。本土とは根本的に違う。だから当たり前を取り戻すために、ずっと声をあげ抗い続けているのだ。
転勤に伴って本土で過ごすことになった自分に出来るのは、そういう沖縄を自分事だと思ってもらうために話すこと。私も当事者だけど、本当はみな当事者なのだ。