「33個、1人で持てますか?」本土で通じない沖縄の常識と本土の無意識の非常識

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「もう少し頑張って欲しかった」に違和感

今までだったら普通に聞き流していたかもしれない。

ただ、こちらでの生活はあまりにも米軍基地とは無縁だ。悲しいぐらい平和で、沖縄県民とあまりにも違い過ぎる。対等ではない日常の中で、あの沖縄が置かれている状況を察し同調するのは、本当に難しいことかもしれない。沖縄へ基地を押し付け、疑似的平和の無意識の差別とも向き合わなければいけなかった。

それでも沖縄のことについて勉強会に足を運び、自分事と捉えどう行動すべきか考える方々には本当に頭が下がる思いだった。時間を割き真摯に向き合い自分事として思索する。自分がもしその立場であったら、本当にそこまで出来るのだろうかと、こちらへ来て色んな方と意見を交えるようになり、私自身も勘考できた。だから尚更、勉強会に来て下さった方の何気ない言動に違和感も覚えるようになったのかもしれない。

ある勉強会で知り合った方に「デニーさんはなんでこのような判断をしたのか、心情が分かりません。残念です。」と言われたことがある。2021年6月、糸満市の土砂採掘計画を巡り、合意案を受け入れる考えを表明した内容に対してだ。沖縄戦の戦没者の遺骨が含まれている土砂を基地建設に使わないで欲しいと、全国で陳情や請願の活動が続けられていた。その方はもう少し玉城知事には頑張って欲しかった、と残念がっていた。

「そうですよね。頑張って欲しかったですよね。」と同じく思ったが、

本当は内心、沖縄は、玉城知事は頑張っているよ。そんな気持ちでいっぱいだった。いつも民意を背負って政府や米軍と闘い、こうも対立する県知事が他にいるのだろうか。

それなのに求めすぎないか?と思った。

「不利な状況を作ったのは政府です。」と言葉を返し説明をした。

その方は考えを改めてくれた。「諸悪の根源は政府だと思います。そして、それを支えているのは、こんな状況を見ようともしない本土の私たちの責任です。」と言ってくれた。

その後、その方は「沖縄のことを自分事と捉え、本土の私たちが行動すべきだ」と精力的に活動されている。

命を守るための走り「笑えないと思います」

2017年12月、宜野湾市立普天間第二小学校のグラウンドで、普天間基地から飛び立った米軍ヘリから窓が落ちる事故があった。それから運動場に避難小屋が出来るまで、沖縄防衛局が校内に監視員と誘導員を配置した。米軍機が飛び立つと監視員が拡声器で「逃げて下さい。」と運動場にいる子どもたちを促す。

その映像を先日とある勉強会で流した。どういう映像か説明をした際、場内から「まさか逃げろとか言わないよね?」と失笑があちらこちらから聞こえた。

嘘でしょ?と驚きの失笑だというのは分かる。

空から部品や窓枠や水筒、時に大型のコンテナが落ちてくることがない本土の生活では、想像もつかないだろう。だから失笑がもれたとき、これがこちらの人の正直な反応なのだと思った。悲しくて悔しくて説明をしながら泣いた。「まさかの“逃げて下さい”という言葉が現在の日本で聞くなんて思わないですよね。それから地元紙が調べた結果、このように運動場に避難小屋が設置された小学校は他にないそうです。驚きの笑いでも、これが基地と共存の現実です。もし自分の子どもが、お孫さんが、知り合いのお子さんが、避難を余儀なくされる学び舎にいると思うとどうですか?笑えないと思います。」

言葉を発するのに時間がかかった。場内がしんとして目頭を押さえる人が見えた。

失笑もこんな異常な空も、どれも現実。

子ども達が拡声器の掛け声で授業を中断し駆けていく姿を、今年小学4年生になった娘と重ね、胸が潰される思いで一緒に映像を観た。

鬼ごっこやリレーではない走り。命を守るための走り。

映像は2018年に撮影されたものだが、これが戦後77年、本土復帰から50年の沖縄の姿だ。根深い負の遺産の証ともいえる。

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