96年に大田知事が代理署名の応諾に踏み切ったことで沖縄県内には批判が巻き起こる。それに対し、大田知事は「(応諾を)拒否してその先に何が見えるのか。雇用の拡大につながるのか。基地の整理・縮小につながるのか」と訴えざるを得なかった。
知事が二度と代理署名拒否の挙に出られないよう国は97年、知事から代理署名権限などを奪う駐留軍用地特別措置法改正案を約9割の圧倒的多数で衆院可決した。この際、自民党で衆院安保土地特別委員長を務めていた野中広務衆院議員は「圧倒的多数で可決されようとしているが、『大政翼賛会』のようにならないように若い方々にお願いしたい」と異例の意見表明を行った。
当時の心情について野中氏はのちに筆者の取材でこう答えている。
「沖縄には琉球政府時代の自立心や琉球王府としての歴史もある。それから米軍の支配で復帰が遅れた。こういうことを無視してはいけないし、われわれもまた、沖縄は兵隊だけでなく一般民衆も犠牲になった(沖縄戦など)、沖縄には耐え難い歴史がずっと残っているんだということを脳裏に置きながら、節目節目で民族としての償いをしてきた。しかし、それが分かっている政治家がだんだん少なくなっていた。政治家だけでなく日本全体だけれども」
野中氏の「大政翼賛会にならないように」との発言は、衆院可決から4日後の理事会で議事録から削除されることが決まった。
一方、行政の立場よりも政治家としての判断を優先した今回の玉城知事の決定は後世、どのように評価されるだろう。
前例のない決断の背景には、「民意」の重さがある。玉城氏は移設反対を公約に2018年と22年の知事選に勝利。埋め立ての是非を問う19年の県民投票では7割超が反対の意思を示した。最高裁判決の重さを十分認識しながらも、在職中に亡くなった翁長雄志前知事から後継指名を受け、「辺野古阻止」の民意を託されて知事に就任した以上、その「責任」をどういう形で果たすのかは困難極まりない選択だったはずだ。法廷が舞台の係争は最終局面になりそうだが、沖縄の民意を背負った玉城知事と政府の確執は続くことになる。
選択を迫られているのは玉城知事や沖縄県民だけではない。防衛省は着工を起点とし、施設の引き渡しまでは約12年要すると試算。ただし、実際に工事を開始しても、1兆円近くに膨らむ総工費や海底の軟弱地盤など政権は極めて難しい問題に直面することになる。
沖縄に押し寄せる本土の記者たちも、次の展開がないと判断した時点で大波がひくように去っていく。そして残されるのは、10年以上かけて完了するかどうかも分からない埋め立て工事だ。県民はそれをずっと見守ることになる。
水深70メートルの軟弱地盤に7万7000本の砂の杭を打ち込んで地盤の改良工事をする計画は、専門家からも「技術的に困難」との指摘が出ている。しかし国は「地盤改良すれば建設可能」との姿勢を崩さない。無論、こう主張しなければ「軟弱地盤で建設は困難」とする沖縄県の訴えを認めることになるから当然といえば当然だろう。
だが、大浦湾周辺には環境省レッドリストで絶滅危惧種(IA類)に指定されているジュゴンなど262種の絶滅危惧種を含む5300種以上の生物が生息する。仮に10年経って、環境や生態系を取り返しのつかないレベルまで改変し、何兆円もの税金を費やして、「やっぱりできませんでした」となっても、その時には首相も防衛省の事務方も裁判長も、判断を下した国側の関係者はその職から遠のいているだろう。そして結局、誰も責任をとらないのは目に見えている。
安全保障環境が厳しさを増しているのも、中国には警戒が必要なのも、そのために沖縄に基地が必要なのも分かる。それは沖縄県知事をはじめ多くの県民が共有している。沖縄の人が安保情勢に疎いわけではない。ましてや日本の防衛に協力しないと言っているのでもない。むしろ最も貢献している人たちであり地域だ。
その沖縄のただ一つの基地を何とかしてほしい、という要求を、対話も拒否したまま退けることで本当に将来に禍根を残さないのか。これが日本政府の「解決策」だと言うのなら、あまりにも政治力がなさすぎる。
【本稿はアエラドット記事を転載しました】