辺野古新基地問題は「終わった」のか

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「唯一の解決策」という「バズワード」

この間の経緯を改めて振り返ると、「普天間基地の危険性の速やかな除去」という本来の「目的」が、辺野古新基地の建設という「手段」をめぐる強硬策にすり替わってしまったという印象を強くする。

 そもそも1996年4月の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使の記者会見では、県内の既存の米軍基地内での「ヘリポート」新設が代替施設とされていた。それが「撤去可能な海上ヘリ基地」に変転し、その後には期限付きで軍民共用といった「条件付き」も破棄されて現行案の強行に至った。

 最近の報道でも1996年の日米合意は「県内移設」が条件だったとの解説が散見される。しかし、代替施設なるものが当初のヘリポートからはおよそ想像しがたい巨大化・恒久化したものに変貌したことが問題なのであり、「県内移設が条件だった」の一言では、なぜそれが沖縄で受け入れ難いものなのかという事の本質が見えなくなってしまう。

 われわれは言葉でものを考える。「普天間返還」はいつの間にか「辺野古移設」と呼ばれるようになり、当初から「県内移設」が条件だったと解説されれば、強硬と見える政府の姿勢もそれなりに真っ当なものに見えてきかねない。

言葉の操作をめぐる駆け引きは政治的正当性をめぐる闘争である。「一強」と呼ばれた第二次安倍晋三政権下でこの問題を主導した菅義偉官房長官は、連日のように辺野古新基地の建設が「唯一の解決策」だと繰り返して自身の立場を正当化した。政府のスポークスマンとして毎日、記者会見を行う官房長官の発信力はきわめて強力である。「辺野古新基地」と聞くと、つい「唯一の解決策」が対になって頭に浮かんでしまう読者もおられるだろう。

 一見、もっともらしい「唯一の解決策」だが、なぜそれが唯一なのか。菅氏が真正面からきちんと説明したことがあるだろうか。実際には強権を振るう官房長官の下で「それ以外」を語ることが関係官庁でも与党内でも封じられてきたというのが実態だろう。「唯一の解決策」という「バズワード」(専門的でもっともらしいが、実際には曖昧な言葉)の呪縛にはくれぐれも注意が必要だ。

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