辺野古新基地問題は「終わった」のか

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普天間の危険性の「速やかな除去」に着手を

国が大浦湾の埋め立てに着工したことを受け、玉城デニー知事は「必要性や合理性のない工事の強行がもたらす甚大な問題」を直視し、工事を中止して県との対話に応じるよう求めた。辺野古新基地をめぐる対立に焦点があたっているが、「必要性や合理性」からすると、そもそもの目的は普天間基地の危険性の速やかな除去だということを改めて認識しなくてはならない。

返還合意から30年近く経つが、この間、普天間の危険性の除去が大幅に進んだという話は聞かないし、政府も新基地建設に血道をあげるばかりである。普天間基地の運用頻度を漸次、やがて究極まで低減させ、まずは休眠状態に近いところまで持っていくのが「危険性の速やかな除去」の正攻法だろう。これまで辺野古をめぐって費やされてきた時間と政治的リソースを考えると、それを「速やかな除去」という本来の目的の追求に振り向けることはできなかったのかと暗然たる思いにとらわれる。

政府は辺野古移設の完了まで普天間の危険性を実質的に放置するつもりなのだろうか。沖縄県や米側との真摯な協議によって、「危険性の速やかな除去」を一刻も早く実現するのが本筋だろう。まさか、そのような努力を懸命に行うと、辺野古新基地の必要性が揺らいでしまうので目を向けない…ということではあるまい。そのようなところまで日本の政治が堕落しているとは思いたくない。

        (『沖縄タイムス』2024年1月16日掲載の記事に加筆、修正を加えました)

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